アサルトガールズ - 30点 △

役者の演出がダメダメ。相手は人形じゃない。

日本屈指のアニメ監督である押井守の実写映画は「実験的」と評されることが多いですね。これだけアニメ業界で名を馳せつつ、今なお新しい表現の可能性を探るその姿勢。それは本当に素晴らしく、尊敬に値します。しかし、仕上がった映画にまとわりつくこのダメさは何なのでしょうか?

この映画では、確かに他の実写映画では観ることができない独特な映像表現が拝めます。そこにはオリジナリティーを感じますし、感心もしました。しかし、それ以外がまるでダメです。

まずテーマがダメですね。押井監督の場合、自身が得意とする「虚構と現実・真実と嘘の曖昧さ」といった形而上的テーマをメインに据えた途端、オヤジの繰り言的な臭味を放ち始めます。

その臭味は過去のアニメ作品にも存在しますが、アニメの場合は原作者が構築した作品世界(世界観やキャラクター、物語)に芯があるため、その臭味は良い意味での苦味として機能し、原作の良さに輪郭を引く隠し味のような効果を発揮します。思うにこれが巷で”押井節”と言われるモノの正体だと推察しますが、この映画は完全に押井監督のオリジナル作品であるため、その臭味はくさいまま作品内に放り出されます。しかも、今作「アサルトガールズ」では、開幕早々にテロップ付のイメージ映像をバックにその全てをダラダラとナレーターに語らせるという仰天演出で垂れ流すため、ものの5分で気が滅入ってしまいました。

さらに物語もダメでした。

経済成長が停止した近未来。人類は「アヴァロン(F)」と呼ばれる全感覚型の仮想世界によるロールプレイングゲームに興じていた。荒廃した砂漠の戦場で戦うのは3人の女ハンター、グレイ(黒木メイサ)、カーネル(佐伯日菜子)、ルシファー(菊地凛子)。ソロプレイを信条とする彼女達は犬猿の仲だったが、ある日伝説のモンスター「マダラ」に遭遇してしまう。ソロでは倒せない大物を前に撤退を余儀なくされた彼女達は、初めてパーティーを組むことを決意する。果たして彼女たちはマダラを倒すことができるのだろうか?

といった内容が話のスジなわけですが、もちろん倒すことができるんですね(笑)物語はこれ以上でもこれ以下でもなく、オンラインゲーム的な世界を舞台に綺麗なネーちゃん達が暴れるだけという様式です。で、ここからが最重要なのですが「それだけじゃダメなのか?」といことです。「綺麗なネーちゃんが暴れまくるだけでイイじゃん!」という映画はアリだと思うんですよ。そういう気分は理解できるし、実際それで良い場合もある。でも、その場合はキャラクターが魅力的であることが大前提で、「見てるだけで幸せ」というレベルが要求されます。

そういう視座でみると、今作には黒木メイサ、菊地凛子、佐伯日菜子という、各界の"見てるだけで幸せ"なポテンシャルは十分な女優が出演しています。がしかし!押井監督には女優の魅力を引きだす能力が決定的に欠けています

今作の女優達のなんと不細工なことか。監督から女優への愛着が全く感じられません。思うに「攻殻機動隊」や「イノセンス」であれだけ人形を描き続けた人ですから、おそらくは人形を愛でるような感覚で生身の人間に演出をつけてしまったのでしょう。しかし、彼女たちを動かすのは優秀なアニメーターではなく、彼女たち自身なわけですから、人間相手の演出家としての経験が少ない押井さんにとっては完全に能力不足です。本来、演出家と役者のケミストリーで生まれるべき”活きたキャラクター”はそこにはいませんでした。

その他にも、映画の流れを邪魔する止め絵。チャプター毎に挿入されるポエム。素人くさい銃火器の取り扱いと格闘技。ワンフレーズをしつこく繰り返すダレ場。寒いギャグ。謎の二宮金次郎像&カタツムリシーンなどなど、とにかくいろいろダメすぎます。さらに今作にとどめを刺すのがラストの展開。劇中さんざんぱら呆れさせられた挙句に、パトレイバーよろしくの「コラ~!遊馬ぁ~!」的なギャグ風味のあの展開をやるなんてどういう神経をしているのでしょうか?非常に寒い観賞後感を味わいました。

「映画を発明するのが自分の役割」と自認する監督の仕事には今後も注目しますが、監督にはゼロから作品世界を構築するオリジネーターの資質はあまり無いと思いますので、その辺は真摯に自覚して頂いて、実写の場合は実験的な映像制作の領域にのみ全力投球してもらって、それ以外は人に任せる。そういうスタイルで映画制作を続けてはいかがでしょうか?

押井監督には、これからも素晴らしい映像作品を作り続けて頂けることを期待しています。

「アサルトガールズ」
公開:2009年12月19日
配給:東京テアトル
監督:押井守
脚本:押井守
出演:黒木メイサ、菊地凛子、佐伯日菜子
上映時間:70分