その街のこども 劇場版 - 63点 O

人と人との分かち合いを肯定的にとらえる優しさに満ちた映画。

<作品紹介>1995年1月17日午前5時46分、「街」は一瞬で破壊され、ぼくたちは生き残った―。こどもの頃に震災を体験し、いまは東京で暮らす勇治(森山未來)と美夏(佐藤江梨子)。彼らは「追悼のつどい」が行われる前日に神戸で偶然知り合い、震災15年目の朝を迎えるまでの時間を共に過ごすことになる。震災が残した心の傷に向き合うため、今年こそ「追悼のつどい」に参加すると心に決めていた美夏に対し、出張の途中に“なんとなく”神戸に降り立っただけだと言い張る勇治。全く異なる震災体験をしたふたりの間には、大きな溝が広がっているように見えた。しかし、“ある場所”に差し掛かったとき、美夏は勇治が長年抱え込んできた過去を垣間見ることになる。復興を遂げた真夜中の神戸の街を背に、これまで語ることのできなかったふたりの想いが、不器用に溢れ出そうとしていた─。

2/13の最終日、恵比寿ガーデンプレイス内にある東京都写真美術館で「その街のこども」を観てきました。−被災者の男女が神戸の街を夜通し歩くだけの話− そんな事前情報からどんな内容か楽しみにしていたのですが、今作は阪神・淡路大震災が不条理の象徴としてアッサリ描かれている点がとても印象的ですね。観る前は「当時の貴重な映像がたくさん観れるのかな」という先入観があったのですが、 そういう映像の使用は極力控え、震災の記憶を抱える登場人物達の振る舞だけで炙り出す災害の爪痕が逆にリアルで、胸に迫る内容になっていました。

被災者でありながら、大怪我をしたり、住居を失ったり、家族を失ったりするような直接的被害を受けていない主役の二人。しかし、震災による心の傷は確実に刻み込まれており、それが他者からの共感を得やすい”わかりやすい痛み”ではないぶん逆にやっかいで、誰にも打ち明けられないまま、15年経った今も癒されないまま疼いている。そんな共通点を持つ二人が震災のメモリアルデーに偶然出会い、危うい綱渡りのような対話や交感を通じて少しづつ心を開き、お互いの傷を癒し合っていく。そのささやかながらも感動的な様子は、「心の欠落こそが他者へと繋がる可能性」という示唆を与えてくれた映画「空気人形」にも似た、人と人との分かち合いを肯定的にとらえる優しさに満ちていました。

*以下、ネタバレ含む

しかし、不満を感じた点もあります。それは美夏の葛藤が溶解する例のシーン(なんでアンタが手振ってるのよ~!からの笑い泣き)と、最後の二人でダッシュするシーンに感じた違和感です。何故か私はあの辺りから急速に興が失われていく感覚に襲われてしまいました。

これは個人的に佐藤江梨子さんの泣き演技が苦手というのもあると思いますが、それまでのハイでもローでもない絶妙なテンションでテーマを描き上げていた映画の空気が一変して、わかりやすくドラマを盛り上げる方向にギアが入ったあの感じに「う~ん、こういう盛り上げはいらないのになぁ…」と思ってしまったんです。この映画の雰囲気ならば、下手に盛り上げる方向に振らないで、あてどなく揺蕩(たゆた)うような心細いテンションのまま、それでも最後にほんの少しだけ確からしい何かが仄見えるような、そんな雰囲気にしてほしかったんです。(そういう着地をしてるっちゃしてるんですけど・・・なんか素直になれないというか)

という感じで、私にとって気持ちの整理ができてない作品だったりします。しかし、このような不満はあくまでも個人的なものであって、二人のナチュラルな演技と、テーマに向けて丁寧にアプローチする監督の手腕に間違いはありません。映画「その街のこども」はオススメです。

「その街のこども 劇場版」
公開:2011年1月15日(土)
配給:トランスフォーマー
監督:井上剛
脚本:渡辺あや
出演:森山未來、佐藤江梨子、津田寛治
音楽:大友良英
主題歌:阿部芙蓉美
上映時間:83分