空気人形 - 90点 ◎

みんなが心に感じる”欠如”こそが、他者同士をつなげる可能性。

<作品紹介>「誰も知らない」「歩いても 歩いても」の是枝裕和監督が、業田良家の短編漫画「ゴーダ哲学堂 空気人形」を映画化。主演は韓国の人気女優ペ・ドゥナ。共演にはARATA、板尾創路、余貴美子、岩松了、星野真里、寺島進、オダギリジョー、富司純子など。

<あらすじ>性欲処理の代用品、”空気人形”である「のぞみ」(ペ・ドゥナ)にある日心が芽生えてしまう。窓の外に広がる世界に惹かれた彼女は、持ち主である秀雄(板尾創路)が仕事に出かけたのを見計らって外に出てみることに。世界の美しさに触れ、秀雄が留守中は外で遊ぶのが日課になったのぞみは、町の人たちとの交流を通じて心を学んでいき、やがてあるレンタルビデオ店で働く青年・純一(ARATA)に恋心を抱くようになる―。

映画「空気人形」は、韓国の人気女優ペ・ドゥナの魅力を120%引きだしたアイドル映画であり、男と女の切ないラブ・ストーリーでもあり、孤独に苛まれた人々の群像劇でもあり、心の欠如についての形而上的示唆を与える哲学的な映画でもあるという、非常に味わい深く感動的な作品でした。

冒頭のペ・ドゥナ登場シーンからして惹きこまれます。物干し竿から滴る雨だれ(≒生命の源、水)を手に受け、「キレイ・・・」とつぶやいた瞬間に心が宿り、人形から人間へと変身するこの受肉シーンの美しさ。人体の理想形を模した人形に相応しい肉体を持つペ・ドゥナの神がかった裸体のなんと美しいことよ。この映画が描く「生」と「性」の輝きを存分に表現した素晴らしいオープニングだと思います。(*ここで彼女は堂々とフルヌードになりますが、この大胆さは日本の女優さんも見習ってほしい)

そこから先もペ・ドゥナの魅力全開で、女子高生、メイド、ナースなどのコスプレ姿を楽しむも良し。美脚からのぞく絶対領域を眺めるも良し。きょとん顔やお口モグモグ顔を愛でるも良し。不意打ちの鼻歌(仁義なき戦いのテーマ)に笑うも良し。見事な脱ぎっぷりに「ハッ」とするも良し。匂い立つエロスに身悶えるも良しと、さまざまな角度から彼女の魅力を楽しめる内容になっています。

もちろん、本筋である「人形が恋をする」というラブ・ストーリーの側面も魅力的です。ほのぼのとしたレンタルビデオ店内でのやり取りや、お台場デートのどこか切なく儚げな心の交感。人形であることを必死に隠しながら純一と接する空気人形の姿は、好きな人の前で自分の欠点を隠す人間の姿そのまま。今作最高の見せ場である純一による息の吹き込みシーンは、それまで隠してきた(*本当は曝け出したかった)欠点を見せ、かつそれが相手に受け入られる(=承認される)という、人と人との分かち合いで得られる喜びの究極系を表現していました。

一方、孤独に苛まれる人々の群像劇における空気人形の存在は、誰しもが抱える欠如のメタファーとして機能しはじめます。

劇中に登場する人間達は皆、自分で自分の欠如を満たそうともがき苦しんでいます。ゴミ屋敷の女は過食。独身アラフォー女は自分への留守電。鬱屈した青年はオナニー・・・etc。劇中に朗読される吉野弘の詩「生命は」にある、「生命は/その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ」という一節が真理であるならば、彼らの自慰行為は永遠に報われない虚しいこと。しかし、他者との関わり合いで傷つくのは恐い。だからどうしても内に閉じ籠ってしまう・・・。この孤独を生みだす心理的作用は、私の個人的対人関係の有様と響き合ってしまい、非常に切ない気分になりました。

しかし、心を持って間も無い(=恐れを知らない)空気人形は積極的に他者と関わってゆき、自分と同じ雰囲気を持つ純一に恋をし、ついには己の欠如が満たされる体験をします。これらの人と関わることの喜びを体現した描写は、自分一人では決して満たせない欠如を肯定的に捕え、その欠如こそが他者へと心を開くための可能性であるという気づき(≒価値観の転倒)を衝撃とともに体感させてくれます。そしてさらにはきっと自分も誰かを満たせるという希望すら・・・

人と人との関わりあいを、こんなにも肯定的に、しかも力強い説得力を持って描いた作品が今までにあったでしょうか?私はついに胸を張って人生ベスト1と言える傑作映画を観てしまったのではないだろうか?これはもっと多くの人に観られるべき映画だ!!・・・そう鼻息が荒くなりかけたのも束の間。この是枝裕和という監督は、タダ者じゃありませんでした。

*以下、ネタバレ含む

愛する純一の息で満たされた空気人形は、空気注入のポンプと決別し、一回性のある生を受け入れます。そして秀雄(元の持ち主)との関係に決着をつけ、自分の産みの親である人形の原型師(オダギリジョー)との再会を通じてある種の肯定的な諦観(心が生まれた理由など誰にもわからない)を得て、あらためて純一の元へと向かいます。

そして空気人形は、純一の欠如を満たしてあげるべくある行動をとります。それは甘美な描写から、あまりにも唐突にはじまる驚愕の展開で、もはやホラーと見紛うばかりの壮絶な光景。それが指し示しているのは、自分と他者は違うという当たり前の真理でした。

自分が満たされた同じ方法で相手が満たされるとは限らない、それどころか、相手に苦痛を与えてしまう事すらあるという厳しい現実。卑近な例で言えば、束縛に愛を感じる人もいれば、疎ましく思う人もいるということ。このすれ違いに纏わる最大級の悲劇が二人に襲いかかります。

この辛口な結論は一見して皮肉のように受け取られてしまうと思うのですが、これは単なる皮肉ではなくて、誰もが薄々感ずづいている愛というエネルギーの危険性を示す勇気ある行動だと思います。この背中をポンッと押しつつ、暴走しないようにキチンとブレーキを踏んでくるバランス感覚、この結論の締め括り方。私の想像の範疇を遥かに超えていました。

そして最後、本当の意味で空気人形が人間になる(とあえて言い切りたい)あの結末、からの~あの娘へのバトンタッチ!!最高ですね。心底感動してしまいました。こんな傑作映画を創り上げた是枝監督、そして出演者、スタッフ一同のみなさんには感謝の言葉を申し上げたい。素晴らしい映画をありがとうございました。

P.S.
長文になってしまったので割愛しましたが、細かく張った伏線の粋な回収の仕方や、演出的な妙味の散らばり具合、リー・ピンピンの撮影による情緒的な東京の風景など、まだまだ褒め足りない部分がいっぱいあります。それは見てのお楽しみに。あと、劇中にかなり生々しい性描写(ダッチワイフとのSEX&その後の洗浄など)があるので、そういう描写に耐えられない方は観賞をお控えください。

「空気人形」
公開:2009年9月26日
配給:アスミック・エース
監督:是枝裕和
脚本:是枝裕和
出演:ペ・ドゥナ、ARATA、板尾創路、 高橋昌也、余貴美子、岩松了、星野真里、寺島進、オダギリジョー、富司純子
上映時間:116分

     

デュー・デート - 50点 ◯

失笑、冷笑、微笑、爆笑。いろんな“笑い”があるんだね。

<作品紹介>アメリカ大陸横断を余儀なくされた男たちの波瀾万丈な旅を描くロードムービー。監督は「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」のトッド・フィリップス。主演コンビは「アイアンマン」シリーズのロバート・ダウニー・Jr&ザック・ガリフィナーキス。共演にはジェイミー・フォックスなど。

<あらすじ>待望の赤ん坊誕生を5日後に控えるピーター(ロバート・ダウニー・Jr)は、妻の出産に立ち会うためアトランタ空港から自宅のあるロサンゼルス行きの飛行機に乗ろうとしていた。しかし、たまたま出会ったヘンな男、イーサン(ザック・ガリフィナーキス)とのイザコザで飛行機に乗れなくなり、IDカードの入った財布も行方不明になってしまう。このままでは家に帰れないピーターは、イーサンの誘いに乗り彼の車でアメリカ大陸横断をすることにするが、それはハチャメチャな旅の始まりだった!

ということで「デュー・デート~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~」を観たわけですが、しかしまぁなんというかこの映画、とても面白かったものの特に何の感慨も抱かないというか、私の中をスゴイ勢いで通り過ぎて行ってしまいました。

今作は観客の腰を落ち着かせない頻繁なモードチェンジが印象的です。前半でさんざん笑わせ、後半はシリアスな展開に突入。テーマをじっくり描き込んだ上で最後は泣き笑いの大団円!!みたいな心地良いコメディ映画の王道フォーマットにはハマっていません。

不謹慎で下品で不倫理なコトのつるべ打ちで失笑・冷笑・爆笑をとった後、なんだか湿っぽい展開に突入し、そろそろ観客の腰が落ち着きはじめたかなぁ、という間合いを見計らってお尻にカンチョーをカマす!(みたいな) そんなフザけた展開が何度もあるため、終盤は「もー!!そういうのイイから!!もうちょっとまともな着地してくんない!!?」みたいな気分になりました。

それに、子供の誕生を控えたロバート・ダウニー・Jrと、お父さんを亡くしたザック・ガリフィナーキスという、それぞれ「生」と「死」に接近中の二人によるゴールデンクロスな状況が特に面白い展開をしないのも残念でした。このゴールデンクロス状況が最後、普遍的なテーマに昇華されてカタルシスに繋がっていく、みたいなことを期待しましたが、そういう展開は全くなく残念でした。

しかし、この作品には私が映画に求める非日常が確実にありました。去年このブログで酷評した世界のナベアツさんが監督した「さらば愛しの大統領」みたいな、TV的な自主規制の枠内でヌルたいお笑い(しかも中の下!)を垂れ流した映画に比べれて100倍面白いのは間違いありません。

不謹慎や下品、不倫理な事象を、映画という表現を理解した上で笑い飛ばせる方には十分楽しめる作品だと思いますので、映画「デュー・デート~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~」オススメですよ!

「デュー・デート~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~」
公開:2011年1月22日(土)
配給:ワーナー・ブラザーズ
監督:トッド・フィリップス
脚本:アラン・R・コーエン、アラン・フリードランド
出演:ロバート・ダウニー・Jr、ザック・ガリフィアナキス、ミシェル・モナハン、ジェイミー・フォックス、ジュリエット・ルイス、RZA

     

もしも昨日が選べたら - 63点 ◯

仕事中毒のお父さん必見の人格改造セミナー映画!

<あらすじ>建築デザイナーのマイケルは、家庭を顧みない仕事人間。美しい妻と二人の子供たちは、楽しみにしていたキャンプも行けず、寂しい思いをしていた。働きすぎのマイケルは、自宅でどれがテレビのリモコンかも分からない。そこで彼は、最近流行りの”マルチリモコン”を買おうと、深夜も営業しているホームセンターに出かけた。そこでマイケルは怪しげな従業員・モーティから何でも操作できる最先端のリモコンを無料でプレゼントされる。”無料ほど高い物は無い”と怪しむマイケルだったが、実はそれは、電化製品はおろか、人や時間までも操れる、夢のマルチリモコンだった!!

映画「もしも昨日が選べたら」は、仕事ばっかりで妻や子供をないがしろにしてるお父さん必見の、笑って泣けて最後は反省できる、なかなかおトクな映画でした。

まず特徴的なのは”人生を操作できるリコモン”というガジェットですが、こんなのAVでしか見たことないですよね。こんなネタを56億円もかけて本気でやる姿勢が素晴らしいと思います。自分の思い出を巻き戻して観賞し、うるさい犬の鳴き声は消音。嫁さんとの口論や、車の渋滞、面倒なお付き合いは早送りで快調にかわし、腹の立つ相手は一時停止してストレス発散。まるでDVDプレイヤーで映画を操作するかのように人生を操作する描写がなかなか面白かったです。

それに電化製品の学習機能(前回の操作を覚えている)によって主人公の人生が制御不能に陥っていくというアイデアも風刺が効いていてニクイ。頭良さ気なフリして全然使えない電化製品にイライラした経験は誰しもありますよね。

物語の構成も上手で、前半さんざん笑わせておいて、後半はシリアスなトーンに突入し、じっくりとテーマの描き込みにかかるという、コメディ映画のセオリーに則った仕方。集中力を途切れさせることなくエンディングまでキチンと連れて行ってくれます。

テーマも非常に共感的。家庭を顧みない仕事中毒の男が、人生を操作できるリモコンを手に入れて、最初はトントン拍子でハッピーになるも、次第にリモコンに人生を支配されてメチャクチャになり、ボロボロになりながら本当に大切なモノに気付かされていく。

一度非日常に飛翔し、価値基準を破壊される体験を経て変心が起こり、違う自分に生まれ変わって日常に着地する。この段取りはデヴィッド・フィンチャー監督の映画「ゲーム(1997)」にも通じる人格改造セミナー感があって面白かったです。ま、最後は「あぁ〜それやっちゃうんだ!?」っていうベタな展開なのですが、こういう類のカタルシスは全然わるくないです。107分という上映時間も小気味良くて、気分スッキリで終幕を迎えられました。

あと、今作は結構な有名人が出演していますので、その辺りも楽しめました。「ヴァン・ヘルシング」や「アンダーワールド」でもろアマゾネスな雰囲気だったケイト・ベッキンセイルが家庭的な美人の奥さんをやっていたり、「ナイトライダー」で悪を倒す正義のヒーローだったデビッド・ハッセルホフが破天荒な上司役だったり、「スリーピー・ホロウ」で首なし騎士だったクリストファー・ウォーケンが主人公にリモコンを渡す奇妙なスーパーの店員だったりと、なかなか味わい深いキャスティング。子役2人も可愛くて、演技も上手くとても好印象でした。

ということで映画「もしも昨日が選べたら」、一見の価値アリです!!

P.S.
文中では触れませんでしたが、「バタフライ・エフェクト」のような「なんでこうなっちゃうのよ!!」感や、「カラフル」のような神の思し召し感なんかも微妙に入ってて、そういう部分も結構面白かったです。

「もしも昨日が選べたら(原題:Click)」
公開:2006年9月23日
配給:ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント
監督:フランク・コラチ
脚本:スティーヴ・コーレン、マーク・オキーフ
出演:アダム・サンドラー、ケイト・ベッキンセール、クリストファー・ウォーケン
製作費:$70,000,000(約58億円)
上映時間:107分

     

相棒-劇場版II- 56点 ◯

相棒のキャラクターは最高!でもお話には乗れきれない。

<作品紹介>放送10周年を迎えた大人気刑事ドラマ「相棒」シリーズの映画化第二弾。監督にはTVシリーズのメイン監督であり映画化一作目の監督も務めた和泉聖治。主演はもちろん水谷豊&及川光博の”相棒コンビ”。共演には岸部一徳、神保悟志、六角精児、國村隼、小西真奈美、小澤征悦、原田龍二など。

<あらすじ>警視庁本部内で警視総監を含む幹部12名を人質にした籠城事件が勃発。犯人からの要求はなく、不可解な硬直状態が続く中、特命係の杉下右京(水谷豊)と神戸尊(及川光博)のコンビによる捜査で犯人の特定に至るも、解決を焦る捜査本部の指令によって機動隊員が突入。混乱の最中で犯人は銃殺されてしまう。拙速な上層部の動きに疑念を抱いた杉下と神戸は独自に調査を開始するが、事件の裏には、警視庁、警察庁を巻き込んだ巨大な陰謀が隠されていた・・・。

私はミッチーが相棒となったシーズン8から見始めた相棒 “初心者”なのですが、このドラマ面白いですよね。個性的なキャラクター達が活躍する軽快な刑事ドラマでありつつ、権力闘争の中で身を焦がしながら信念を貫く男達の英雄譚のようでもあり、その通奏低音には “善悪とは?”的なテーマが流れるという、なかなか味わい深い作品だと評価しています。

特にキャラクター達の起ちっぷりはお見事で、実直でスマートかつひと癖あるチャーミングな杉下&神戸による相棒コンビを筆頭に、二人をバックアップするキモカワな鑑識課・米沢くん(六角精児)。権力構造の中で信念を貫かんと身を焦がす大河内監察官(神保悟志)。コメディーリリーフ担当でありつつ時に熱い表情もみせるトリオ・ザ・捜一。杉下を静かに愛憎する小野田官房長(岸辺一徳)など、実力派俳優達の演技アンサンブルが本当に魅力的で、彼らのアクションを観ているだけで楽しめます。

今作「相棒-劇場版II-」でもそれは健在で、みなさんお馴染みのキャラを発揮していたことはもちろん、映画ならではの特別サービスもあって好印象でした。特に知的キャラである杉下右京がフィジカルに活躍するシーンや、神戸尊の(TVシリーズでも見え隠れしていた)正義感が爆発する激高シーンなんかは垂涎モノ。みていて心が躍りました。

特筆すべきは冒頭30分で、撮影や編集が素晴らしかったですね。ちょっとやり過ぎじゃない!?と思いつつも冒頭のエレベーターホールでのスーパースローはワクワクしたし、事件勃発から解決までの痺れるような緊張感と、リズミカルかつスピーディーな劇展開にはかなり燃えました。その様相は“映画版“としての風格十分!良く出来ていたと思います。

が、しかし・・・最初の事件が解決して以後は急速にトーンダウン。内容はどんどん地味になっていって、再び盛り上がることもなく終幕してしまいました。

ストーリーは映画版にふさわしく格調が高い感じで、過去に犠牲者を出した国家単位の陰謀があり、それに気づいた人間が正義感と復讐心で引き起こした事件によって陰謀が再燃。それに絡んだ警視庁と警察庁の権力闘争が巻き起こるといった感じ。で、最終的には「見逃せないものを観てしまった・・・」とTVCMでファンが語る驚愕の大事件も用意してあって、面白といえば面白いんです。がしかし、結構なボリュームで納得できない部分もありまして、今ひとつ乗り切れませんでした。

*以下、ネタバレ含む

まず、すべての発端となった7年前の事件が 公安による自作自演のテロという設定がイケてません。「SP野望編」の黒幕達も全く同じような動機で「平和ボケした日本人の目を覚ます」とか言って自作自演テロを計画していましたが、こういうのをフィクションでやられるとすごく寒く感じます。

というのも、現実世界ではもっとでかいスケールの陰謀が渦巻いてるんですよね。例えば911の自爆テロですが。当時ブッシュ大統領は防げたのにわざと防がなかった(*戦争する絶好の口実を得た)とか、事件の一報を聞いたラムズフェルト国防長官がブッシュの耳元で「千載一遇チャンスですよ」と呟いたとか、そういう話あるじゃないですか?そういう実際に起きた事件に絡んだ陰謀説と比べてしまうと、フィクションの中でちまちました自作自演テロの話なんかされても盛り上がれないです。

次に、その7年前の事件(公安の自作自演の件)ですが、あそこで死んじゃった小西真奈美の彼氏はどー考えても助かったはずです。 なぜ彼は起動した爆弾の存在に気づいてるのに船に残ろうとしたんでしょうかね?理解不能です。「お前は先に行け!」みたいに小西を逃がすんですが、「お前もさっさと逃げろよ!!」って感じでした。というか、この死が後に小澤征悦とか小西とかの怨念を生んで今回の事件の原因になるわけだから逆に罪深いですよね。で、結局この件のせいで小澤は死ぬわけだし・・・やっぱりこういうのは乗れません。

あと劇中の音楽がうるさかったですね。荘厳な雰囲気を出そうと何回も流される聖歌隊のコーラスみたいな音楽がホントうるさかったです。盛り上げようと努力するのは良いのですが、やたら要素を詰めこめばイイってもんじゃないですよ。例えば小西がアイツを撃ちそうになってるシーンは静かに見せてほしいです。映画という総合芸術は目に見えてる映像と耳から聞こえてくる音、そして観客の想像力とが掛け合わさって特別な体験になるのですが、なんだか詰め込み過ぎで想像力が入り込む余地がなく、窮屈な感じがしました。もうちょっと抑えた演出にしてほしかったです。

最後にコレは話を進めるためにしょうがなかったと思うんですが、大河内がminiSD渡しちゃうのはダメですよ。神戸の激高にほだされたのかもしれませんが、アレじゃどっちつかずの中途半端なヤローになっちゃうじゃないですか。大河内ってあーいうヤツでしたっけかね?違いますよやっぱ。

ということで、文句を一杯言いましたが、劇場版第一作目もそうだったように相棒2人のキャラクターがイイので、それを観てるだけで面白いわけで、それだけでオッケイな作品ではあります。っていうか最後の○○式でズラ~っと並んでいる警察関係者をバックに、相棒の2人が悲壮な表情を湛えてコッチに歩いてくるシーンなんかシビれちゃいましたしね。なんだかんだ俺、相棒好きです。

「相棒-劇場版II- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜」
公開:2010年12月23日
配給:東映
監督:和泉聖治
脚本:輿水泰弘、戸田山雅司
出演:水谷豊、及川光博、小西真奈美、小澤征悦、宇津井健、國村隼、益戸育江、岸部一徳

 

CASSHERN / キャシャーン - 31点 ✕

こんなに説教クサく語らないで欲しい。

<作品紹介>タツノコプロの名作アニメ「新造人間キャシャーン」の実写映画化。監督は宇多田ヒカルのPVで独特の世界観を表現した紀里谷和明。出演は伊勢谷友介、麻生久美子、唐沢寿明ら。

<あらすじ>長年に渡る戦争で荒廃し、あらゆる公害が蔓延する世界。”新造細胞理論”による人体再生実験を行っていた人類は、その途上で新しい生命体”新造人間”を生みだしてしまう。恐れをなした人類は彼らを処分するが、一部の新造人間を逃してしまう。生き延びた新造人間達は機械兵団を組織し、人類粛清の戦いを開始するが、その時、彼らの前に立ちはだかる男がいた!それは、彼らと同じ新造細胞で蘇った東博士の一人息子・東哲也の生まれ変り、”新造人間キャシャーン”だった!互いの存亡を賭けた壮絶な戦いが今始まる!!

いきなり結論からいきますが、色々と文句はありつつもトータルで楽しめた「GOEMON」に比べて、この「CASSHERN」は頂けません。なぜこんなクドい映画にしてしまったのでしょうか。141分間に渡る登場人物達の演説合戦や、 意味ありげなイメージ映像群に心底ウンザリしました。後半30分は「いい加減にしろやコラ!!」と怒りが湧いたほど。紀里谷ワールド支持派な私ですが今作は容認できません。

「愛し合わなければ生きることは争いになってしまう」。これは10年以上前にTV朝日で放送されていた深夜番組、「金髪先生」にてドリアン助川が語った言葉で、「CASSHERN」も全く同じテーマを描いているわけですが、それをクドクドと説教クサく語り倒した今作よりも、ドリアン助川の一発の方がストレートに胸に響きます(*ちなみにこの言葉はBON JOVIの名曲「LIVI'N ON A PRAYER」の歌詞解説中に語られました)

おそらく今作の問題点は、紀里谷監督が頭の中に浮かんだモノをすべて詰め込んでしまった点にあると思います。彼はおそらく想像力が豊かな方でしょうから、言葉や映像のイメージが湯水のように湧いたのでしょう。初の劇場公開作品ということで相当に意気込んだんだと思います。だからその全てをスクリーンに焼きつけるべく頑張った。しかし、どんなに美味しい料理も満腹以上は食べられないように、もう十分に伝わっていることを延々と見せられ続けるのは苦痛でしかありません。

しかも、その伝え方が説教クサい演説とヘンテコなイメージ映像の連打という構成。これではどんなに正論を熱く語られようとも「うん、もう言いたいことは解りましたので、さっさとこの映画終わらせてくれませんかね?」という冷めた気分になってしまいます。

つまり今作は、紀里谷的な美意識で彩ったスタイリッシュなイメージとは裏腹に余計な贅肉がたくさんついた映画だと言えます。主張されるメッセージが真っ当で共感的なだけに、残念でなりません。

ちなみに紀里谷監督は今作をさしてデビット・リンチ的表現と語っていますが、ラカン的な意味での現実界にアプローチするような雰囲気を楽しめるリンチの映像表現と比べるまでもなくショボイです。この発言は彼の黒歴史として後世に語り継がれると思います。

*以下、ネタバレ含む

あと、山海塾や白虎社的な暗黒舞踏風味の新造人間達のアーティスティックなイメージ映像も中途半端でしたね。あーいう人体表現を雰囲気でなぞられると非常に寒いです。いつ「宮ゃ迫ぉ~です!!」って言いだすかハラハラしましたよ。やるならもっと精神的な崇高さまで突き詰めてガチンコでやりきってほしいです。

アクションについては「GOEMON」でも不自然だったので期待してませんでしたが、GOEMON以上にダメでしたね。これだけ見た目の美意識に拘る人が、なぜこんなにも動きのセンスが悪いのか?動きはカクカクでポーズも今一つキマらない。特に「vs佐田真由美」や、「vs要潤」なんかは役者が可哀想で観ていられませんでした。これも黒歴史入り決定です。

カメラワークもいまひとつ子供っぽくて。やたらグアーッ!と引いてロングショットになったり、逆にギュイィーン!とズームインしたりと、とにかくダイナミックに動かすんですが、動かしてりゃ躍動感が出るってもんじゃないですよ。(*ここはGOEMONでは結構マシになっていたのでひと安心です。)

最後に音楽ですが、これは本当にうるさかった。これもGOEMONはだいぶマシになってましたが、キャシャーンはヒドイ。いくらなんでもってぐらい音楽が鳴りっぱなしで頭が痛くなりました。

褒めポイントも少し挙げると、及川光博扮する内藤薫が登場するシーンは良かったです。特にクーデターが起きた席上の吹き出し笑いは抜群でした。ミッチーのちょっと微妙な演技はクセになりますね。どの作品で観ても彼の演技は不思議と心に引っかかってきます。もしかして私はミッチーファンかもしれません。

ということで、観賞中いろいろと苦しめられ、途中「フザケんな!」ぐらいの想いもしたわけですが、なぜか紀里谷映画を嫌いになれない私がいます。やっぱり彼の独創的な美意識に裏打ちされた不思議な魅力は間違いないし。どうしても期待してしまう。次回作が公開されれば必ず観に行くと思います。だから紀里谷さん、どんどん突き進んでください!応援してます!

「CASSHERN / キャシャーン」
公開:2004年4月24日
配給:松竹
監督:紀里谷和明
脚本:紀里谷和明、菅正太郎、佐藤大
出演:伊勢谷友介、麻生久美子、唐沢寿明、寺尾聰、樋口可南子、小日向文世、宮迫博之、佐田真由美、要潤、西島秀俊、及川光博、森口瑤子、鶴田真由、寺島進、玉山鉄二、りょう、大滝秀治、三橋達也主題歌:宇多田ヒカル「誰かの願いが叶うころ」
製作費:6億円
興行収入:15.3億円
上映時間:141分

       

リミット - 54点 △

この映画は劇場で観るべき!という完璧な論理があるが・・・

<作品紹介>新鋭のスペイン人監督、ロドリゴ・コルテスによる異色のシチュエーション・スリラー。トラックの運転手としてイラクに出稼ぎに来たアメリカ人のポール(ライアン・レイノルズ)は、貨物の運搬中に何者かに襲われ、木製の棺桶に入れられた上で土中に埋められてしまう。やがて意識を取り戻し、自分の置かれている状況に気づいたポールはパニック状態に陥り、力ずくで脱出を試みるが棺はビクともしない。ひとしきり暴れて冷静さを取り戻したポールは、手元にジッポライター、ペン、酒、そしてバッテリーが半分残った携帯電話があることに気づくが・・・。

映画的な体験という意味で、これほどまでに内容と場が連動している作品も珍しいですね。劇場の座席は狭いですし、すぐ隣に見知らぬ他人がいて気を使います。手や足はコンパクトに畳んでじっとしていなければいけないし、不用意に音を立てはダメ。トイレに行くのも一苦労です。このストレスフルな環境がこの映画の内容にピッタリでして、狭い棺に閉じ込められた主人公へのシンクロ率を高め、その極限状況で味わう苦しみや混乱、憤怒、疑念、悲哀、安堵、絶望への感情移入を促進します。

この映画を涼しい顔して観ていられる人が果たして何人いるでしょうか?「この映画は劇場で観るべき!」とオススメする明確な理由がこの映画にはあります。この映画を自宅(=自分好みに空調を設定し、ソファで脚を伸ばして、いつでも一時停止してトイレに行けるような快適な環境)で観ても面白さ半減なので。今作に興味をもたれた方には、是非とも劇場に足を運んでいただきたい。

ちなみに私は、開幕早々からブチかまされるライアン・レイノルズの鬼気迫る演技にヤラれてしまい、終幕を迎える90分間後にはちょっと具合が悪くなってしまいましたよ。そういう意味では映画に相当没入していたと言えるのですが、多くの観客が期待する「どうやって脱出するのか?」に全く答えなかった点が大きな減点ですね。というか、この映画は脱出劇として失格です。何のカタルシスもありません。

*以下、ネタバレ含む

ネタをばらしますと、今作は「手元にある道具だけでどう脱出するのか!?」という工夫を凝らした脱出劇を全然やってくれません。ジッポライターはただの照明だし、ペンはメモをとるだけ。その道具が本来もっている用途そのままの使い方で、主人公が脱出に向けて起こす行動といえば、携帯電話で電話をかけまくるだけ。この映画に「おおっ!ソレをそう使うのかぁ~!よっしゃ頑張れポール!」みたいな盛り上がりは一切ありませんのでご注意を。

今作で描かれるのは、携帯電話を媒介にした「犯人⇔主人公⇔国家機関」という図式の攻防戦です。しかも犯人が要求する500万ドルを人質であるポール自身が国家機関に電話して「払ってくれ!」とお願いするという可哀想な展開。

しかし、国家は主人公の命よりも国益を優先します。「テロリストとの交渉はしない」、「マスコミに連絡するな」、「必ず助けるから安心しろ」の一点張りで、ポールからすれば血も涙も無い対応をしてきます。そして主人公に「嫁と子供がいるんだ!助けれくれ!」と言われた犯人が返す台詞は、「俺も子供が5人いた・・・しかしもう1人しか生き残ってない」という言葉(なにやら戦争で死んでしまったっぽい)。

つまり今作が描きたいのは、いわゆる脱出劇などではなくて、国家という権力機構が生みだす不条理(国民の財産や命を守るのが国家じゃないのか?)や、戦争の怨念が生んだ不条理(俺はイラク人なんか一人も殺していない一般人なのに!)といった件のようでして。簡単に言うと反戦、反権力ってことなんだと思います。これらのテーマをこういうカタチで組み込んだ映画は初めて見ましたので、そういう意味では新鮮でしたが、残念ながら私はカタルシスの用意されていない不快体験は大嫌いなため、この映画の評価は低いです。この映画最大の褒めポイントである主人公とのシンクロ感が強かった分、「こんだけ我慢したのにコレかよ!?ガックリ・・・」という気分で劇場を後にしました。

とケチをつけつつも、このロドリゴ・コルテス監督がタダモノじゃないことは認めるところ。もし脱出劇的なカタルシスをビシッと決めていてくれたら90点を越える点数をつけている作品だったと思います。もったいないです。というかこの監督さんなら両立できじゃないでしょうか?次回作、期待しております。

P.S.
そういえば犯人は何で生き埋めにしちゃったんですかね?身代金要求が目的なら、生殺与奪の自由を握るためにも、外に出しておいた方が犯人にとって有益だと思います(*現に主人公は自殺しそうになったりする)。この”非合目的”的な行動もイマイチ納得できませんでした。

「リミット」
公開:2010年11月6日(土)
脚本:ギャガ
監督:ロドリゴ・コルテス
脚本:クリス・スパーリング
出演:ライアン・レイノルズ

SP the MOTION PICTURE 野望篇 - 35点 ✕

物語展開が中途半端。コレだったらアクションは大盛りにしてほしい。

<作品紹介>フジテレビのTVドラマ「SP 警視庁警備部警護課第四係」の劇場版二部作の第一弾「野望篇」。監督はTVシリーズの演出を務めた波多野貴文。出演は岡田准一、真木よう子、香川照之、堤真一ら。「仕方がないだろ。大義のためだ・・・」。自殺した理事官について係長・尾形総一郎(堤真一)が発した不穏な発言から1ヶ月。一見して平穏な日常が過ぎていたが、その裏では、公安の目をかいくぐり、不穏な動きを見せる国家の要職を担うキャリア官僚たちによる、日本という国家のシステムを根底から揺るがすテロが企てられていた。相次ぐ脅威への過剰反応(シンクロ)に苛まれる井上薫(岡田准一)はこの未曽有の危機を防ぐことができるのだろうか!?

この映画は、TVシリーズの最終回を劇場でやるというのが主旨とのことですが、普通のTVドラマが最終回でやってくれるような初見の観客への気配り(物語のおさらいや、登場人物のキャラクター説明)は一切しないという内容になっているため、私のような門外漢は冒頭から完全に置いていかれます。この辺は初見でもある程度楽しめる(というか話がわかる)内容にしていた「the Last Message 海猿」とはかなり違いますね。

しかも、やっかいなことに、この映画の主人公には特殊能力(=予知能力)という設定があり、それが一切説明なく披露されるため、「えっ?これってエスパーの話なの?」とか、「どんぐらいわかっちゃうの?」とか、「コイツ以外にもそういう特殊能力者がいたりするの?」みたいな疑問が頭にわいてしまい、今いちシャキッと観れませんでした。作品世界内のリアリティー水準を示さずにこういう能力を使うのは観客の混乱を招きますので、せめてこの部分だけは映画単体で理解できるようにした方がよかったんじゃないでしょうか。(ファン以外は観るな!というなら話は別でが、そうではないようなので)

*以下、ネタバレ含む

物語の内容についても微妙でした。まず、事件の黒幕(与党幹事長やキャリア官僚など国の要人達)が抱く野望が”自作自演のテロをキッカケにした日本国民の危機意識の喚起”という設定がかなり微妙です。9.11直後ならまだしも、2010年の今現在においては賞味期限が切れている印象です。しかも彼らの動機が”崇高な革命の精神”というのがこれまたなんとも・・・。

あまつさえこの「野望篇」は、その目的達成に向けた説得力のある計画は一切提示されず、なぜか邪魔であるとして目の敵にされた主人公の命が狙われるという内容です。与党幹事長ならその権力で主人公を現場から外すことぐらい容易いはずですが、なぜか殺すことに拘ります。しかも、一人のSPを殺すために暗殺集団を送り込むというトンデモ展開。こんな多大なリスクを自ら背負いこむ悪者達の行動が理解できません。

一方、この映画最大の見所であるアクションも今ひとつ突き抜けていません。撮影に向けて二年間のトレーニングを積んだ主演の岡田准一君や、他のSPメンバー達の体を張った頑張りのおかげで確かにカッコイイ雰囲気は出ていましたが、いくつかの蛇足演出とボリューム不足のせいで褒めたい気分に水を指されました、これは役者さんのせいではありません。全部監督の責任です。

まず、冒頭の六本木ヒルズから始まる追跡シーンのパルクールアクションですが、犯人を追いかける時に停止車両の上を走るのはヘンですよ。車と車の間には人が一人走るぐらいのスペースはあるわけで、何故そこを走らないのかが疑問です。演出的に盛り上げたいのはわかりますが、リアルアクションが売りの映画でそういう過剰演出をやってしまうと映画としての格が下がってしまうので控えるべきです。

次に追跡途中で起きる車の横転事故が派手すぎます。あんな大事故を起こしたら確実に重傷者がでてますし。下手したら人が死んでいます。なのに主人公はお咎めなし。コレってどういうことでしょうか?普通こんな大惨事を起こしたらクビになってもおかしくありません。これも先ほどの件と同様に、盛り上げる方向が間違ってます。

あと今作には”投げつけられた自転車を壁走りしてよける”というパルクールっぽい見せ場がありますが、これ系の「うおおっ!やるじゃん岡田君!!」みたいなアクションはもっと一杯観たかったですね。物語がこれだけ浅薄なわけですからアクションは大盛りにして欲しかった。「アルティメット」とか観ちゃってる身としては、あの一発だけでは全然物足りません。次の「革命編」はメガ盛りでお願いしたいところです。

最後にトラックの荷台で始まる武器を使った格闘シーンの対位法(格闘シーンであえて不釣り合いなクラシック音楽を流す等の)演出。コレは「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」でも「えっ?まだそれやるの?」と呆れましたけど、もういい加減この手の演出は飽きたし、もはやダサイのでやめてほしいです。

ということで、私は今作を楽しむことはできませんでしたが、僕の隣で観ていたファンと思われる女性二人組はキャッキャしながら楽しんでましたので、ファンにとっては楽しい映画なのだと思います。

ちなみに、ふと自宅のBlu-rayレコーダーをみたら「SP」のTV版を4、5話分ぐらいまとめて放送した録画データが発見されまして、夜通し観てみたところ、これが結構面白かった!正直、病院ジャックの話とか今作より全然面白かったぐらいです。

「SP the MOTION PICTURE 野望篇」
公開:2010年10月30日
配給:東宝
監督:波多野貴文
脚本:金城一紀(原案)
出演:岡田准一、真木よう子、香川照之、堤真一、松尾諭、神尾佑、野間口徹
上映時間:97分

        

怪盗グルーの月泥棒 - 45点 △

楽しいけど、ここまで"なんでもアリ"だとワクワク感が失われます。

<作品紹介>「アイス・エイジ」のプロデューサーであるクリス・メレダンドリが、米ユニバーサル・スタジオとタッグを組んだ3Dアトラクション映画。郊外の閑静な住宅街、一見なんてことのない家に住むのは、人類史上最高の泥棒を目指す怪盗グルーと仲間のミニオンたち。地下室には最先端技術を駆使した秘密基地があり、日々泥棒計画を企てていた。彼らの次なる狙いは月泥棒。その実現のために何でも小さくできる銃を手に入れロケットを作ることになるが、作戦実行しようとした矢先にとんでもない大問題が発生!!果たしてグルーはお月様を盗めるのだろうか!?

ここ数カ月の間に「トイ・ストーリー3」、「ヒックとドラゴン」とCGアニメの3D映画を立て続けに観てますが、3D映画としての楽しさはこの「怪盗グルーの月泥棒」が一番かもしれません。まさにアトラクションムービーという趣向でサービス満点。劇中のいたるところに施した3D演出で観客を楽しませてくれます。3Dメガネをかけていることを気にさせるような時間は全くありませんでした。非常に素晴らしいと思います。

世界観やキャラクターのデザインも非常に良く。おもちゃ箱から飛び出してきたようなカラフルな世界の中で、3姉妹やミニオン達がヒョコヒョコ動くだけで楽しかったですし、なにより可愛かったです。ストーリーもシンプルで、月の奪い合いと、主人公の孤独な魂がピュアな子供たちによって救われるという物語の二本柱で構成され、子供にも分かりやすい内容になっています。

*以下、ネタバレ含む

しかし、「怪盗グルーの月泥棒」は、「トイ・ストーリー3」や「ヒックとドラゴン」のような責任感は持ち合せていません。まさに子供が考えたような内容で、フィクションにルールは一切無用と言わんばかりに何でもアリのハチャメチャな展開をしてしまう。そこにはピクサーやドリームワークスが作る作品のような良く練られた脚本やテーマ的な深みはありません。そういうモノを期待すると確実に肩透かしを食らいますので注意が必要です。ちなみに私はただ賑やかなドタバタ劇を眺めているだけで満足できるような人間ではないですし、例に挙げた2作品と比較するような視座で観てしまったため、今作への評価はあまり高くありません。

例えばサッカーというスポーツは手を使ってはいけないというルール(≒制限)があり、それを観客が共有しているからこそ、選手達の足技や連携プレーに魅了されるわけですが、この作品世界にはそういったルール設定が一切なく、グルーやそのライバルであるベクターの限界値(=何ができて何ができないのか?)がわからないため、どんな攻防戦が繰り広げられようともワクワクすることができません。何かしらの危機的な状況が起きても、それを解決するアイテムをポケットからポンッと出してすぐ解決といった都合の良さで、ただハチャメチャなイメージの応酬が眼前に広がるのみ。こういうのは子供向けとは言いません。子供ダマしという言葉が適当です。(ま、気持よくダマされて楽しければそれでイイんですが、私はダメでした)

あと、グルーの孤独な魂が子供たちによって救済される件にも一言あります。というかこれは「もっとこうしたら感動的だったじゃん!」という提言なのですが、モロモロ終わった後のグルーの反省描写はもう少し深堀りしても良かったんじゃないでしょうか?

グルーは排気ガスを大量にまき散らす車でファーストフード店に乗りつけ、並んでる人達全員を凍らせ銃で固めて割り込みし、さらに金を払わずにマフインとコーヒーを泥棒するような悪いヤツです。おそらくこういう悪さは日常茶飯事でしょう。そんなヤツが孤児院から(最初は利用する目的で)引き取った可愛い3姉妹との共同生活を通じて会心し、良いお父さんになっていく。この展開は感動的でイイのですが、会心したのなら今までかけた迷惑のオトシマエをつけるべきです。

というかこういう話はエンディングで「会心したグルーは町のみんなに役立つ発明品を作る人気者になり、3姉妹と一緒に末長く幸せに暮らしましたとさ・・・」的なヤツをみせるのがお約束だと思うのですが、なぜやってくれなかったのでしょうかね。それがあれば感動的な大団円エンディングになったと思うので非常に口惜しいです。

という具合に、理屈で物をみてしまう私には今一つ乗りきれない作品ではありましたが、前述したような良いポイントも沢山ある映画なので観て損はない映画だと思います。というか子供を連れて家族みんなで劇場に出かけるなら今はコレでしょ!!

「怪盗グルーの月泥棒」
公開:2010年10月29日
配給:東宝東和
監督:ピエール・コフィン、クリス・ルノー
脚本:シンコ・ポール、ケン・ダウリオ
出演:スティーヴ・カレル
上映時間:95分

ロビン・フッド - 40点 △

サー・リドリー・スコットの歴史巨編は年々魅力が衰えています。

<作品紹介>十字軍の射手・ロビン・ロングストライドが、伝説の義賊”ロビン・フッド”になるまでの物語を、映画「グラディエーター」でアカデミー賞を受賞したリドリー・スコット&ラッセル・クロウのコンビが映画化。共演には「ベンジャミン・バトン数奇な人生」のケイト・ブランシェット、「シャーロック・ホームズ」のマーク・ストロング、「シャッター・アイランド」のマックス・フォン・シドーら名優が勢ぞろい。

<あらすじ>12世紀末、十字軍によるフランス遠征中にリチャード王が戦死。報酬が見込めなくなった傭兵のロビン(ラッセル・クロウ)は軍を離脱し、仲間と共に母国への帰路に就いていた。その道中、ロビン達は王冠を届けるためロンドンに向かっていた王の側近ロバート・ロクスリー卿の暗殺現場に遭遇する。そこで今際の際にあったロバートの遺言を聞き入れたロビンは、形見の剣を彼の故郷ノッティンガムに届けるべく北へ向けて旅立つ。この時、彼の出生の秘密に関わる運命が動き始めていた・・・。

「グラディエーター(86億円)」、「キングダム・オブ・ヘブン(109億円)」、「ロビン・フッド(168億円)」と、年々製作費が膨れ上がっているサー・リドリー・スコットの歴史スペクタクル巨編ですが、その金額と反比例して年々つまらなくなってきているこの状況は一体何なのでしょうか?

第78回アカデミー賞作品賞に輝いた「グラディエーター(2000)」は面白かったですよね。理不尽に家族を殺され、奴隷にまで身を落としたローマの英雄であるマキシマス将軍が、その腕っぷしだけで再びローマの地に舞い戻って宿敵を討ち倒す。この一本スジの通った脚本がまず間違いなかったし、主役のマキシマスはもちろん、奴隷仲間のジュバやハーケン、道を指し示すプロキシモ、暴君コモドゥスなど、魅力的なキャラクター達が満載で目が離せなかった。絵画的な美しさを湛えた豊潤な映像はまるで美術館を観覧しているようだったし、大迫力の戦闘シーンは原始的な闘争本能を掻き立てるような野蛮さと美しさに満ちていました。そしてラスト、胸に沁み入るようなカタルシスに心が震えている頃に流されるリサ・ジェラルドの主題歌「Now We Are Free(ついに自由に)」がホント感動的で、「グラディエーター」は文句ナシに楽しかったです。

それがどうしたことか、今作「ロビン・フッド」には「グラディエーター」にあったような映画的魅力のほぼすべてがパワーダウン、ないしはスポイルされてしまっています。

ロビン・フッドの前日譚として、十字軍の一介の射手だった傭兵・ロビン・ロングストライドが、伝説のアウトロー(無法者)になるまでの物語に、マグナ・カルタへと繋がるイングランドの史実をブレンドした脚本は技ありっぽいんですが、褒めるとすればそれぐらい。登場人物の描き込みが中途半端で、ロビン含めた全員が魅力不足な上に、「えっ?なんでそうなっちゃうの?」という説得力の無いストーリー展開に閉口しきり。戦闘シーンも過去作の劣化コピー&血飛沫の演出を完全にサボッててデグレードしてるし、音楽も全然印象に残らない。出てくる悪者のやられっぷりもカタルシスが弱くてストレスが溜まる一方で、頼みの綱の映像美も新鮮さはゼロ。「もう!なんなのコレ!!」という気分で劇場を後にするハメになりました。今作に新作映画を観る喜びはありません。

御大が「グラディエーター」の次につくった歴史スペクタクル「キングダム・オブ・ヘブン(2005)」でも肩スカシを喰らいましたが、今作はそれ以下です。2010年最高の期待ハズレ作品でした。

P.S.
なお、過去作との比較による相対評価で値踏みしたので、この手の歴史スペクタクル巨編を初めて観る方は全然違う印象をもたれるかもしれません。

「ロビン・フッド」
公開:2010年12月10日(金)
監督:リドリー・スコット
脚本:ブライアン・ヘルゲランド
出演:ラッセル・クロウ、ケイト・ブランシェット、マーク・ストロング、オスカー・アイザック、マーク・ルイス・ジョーンズ、マーク・アディ、ウィリアム・ハート、ダニー・ヒューストン、アイリーン・アトキンス、マックス・フォン・シドー、マシュー・マクファディン、ケヴィン・デュランド、レア・セドゥ、スコット・グライムス、アラン・ドイル
上映時間:148分

GOEMON - 63点 ◯

キャラクターの”外見力”を究極的に高めた映画。圧巻の世界観。

<作品紹介>「CASSHERN」で長編映画デビューを果たして以来、約5年ぶりとなる紀里谷和明監督の第二作。豊臣秀吉による統治の時代。仮初めの平和を享受する日本に、彗星の如く現れた天下の大泥棒・石川五右衛門。金持ちから奪い、貧しきものに与える彼の活躍は庶民を熱狂させ、義賊として人気を集めていた。そんな中、五右衛門は盗みに入った屋敷からとんでもないものを盗み出してしまう。それは”パンドラの箱”と呼ばれる南蛮渡来の小さな箱だったが、実はその中には織田信長の暗殺に関わる重要な秘密が隠されていた―。

外見の作り込みがこんなにもキャラクターを起てている作品を初めて観ました。髪型や瞳の色、眉毛の色、衣装の色彩や装飾、照明の当て方、ポージングなど、紀里谷監督が今までクリエイターとして練り上げてきたであろう独創的な美意識と、世界観構築術を総動員して作り上げられたキャラクター達は、そこに立っているだけでどういうパーソナリティーを持っている人物かが伝わってくるような程、異常なレベルで”起っている”と思います。

これは一昔前に出版された「人は見た目が9割 」というトンデモ新書で知ったノンバーバルコミュニケーションという言葉を体現するような現象で、言葉で説明されなくても、見た目一発、動き一発でキャラの性格を理解させてくれるため、その振る舞いや行動には違和感がなく、感情移入がなめらかです。

GOEMONには多くの人物が登場しますし、何本もの細かいドラマが散発的に展開しますが、あまり混乱せずに観賞できるのは、紀里谷監督が持つノンバーバルコミュニケーション力の高さが一役買っていると思います。(*もちろん有名なエピソードを脚本のベースにしているという点もありますね。)

もっと言ってしまえば、紀里谷映画はキャラだけではなく、世界観そのものが起ってるんですよね。宇多田ヒカルのPVからしてそうでしたが、彼のつくる絢爛豪華で超美麗な世界は唯一無二です。画面が放つオリジナリティーが一発で紀里谷作品だと解らせてくれる。これってスゴイことだと思います。その根源は監督がインタビューで語った「世界を創造したいという欲求がある。これは神コンプレックスかもしれない」という発言からもわかるとおり、自分の欲求に従う素直さゆえだと思うのですが、他人の目を気にせずに「俺はこういうのがカッコイイと思う!だからそのまま創るぜ!」という思い切りの良さは好感がもてます。ややもすると「なんだこの自己肥大化ヤローは?」と不快に思われるかもしれませんが、生き方としてはそっちの方が幸せなのでリスペクトせざるを得ません。

*以下、ネタバレ含む

というように、紀里谷ワールド完全支持派な僕ですが、この映画にはダメな部分もいっぱいあります。私にとってはもはやチャームポイントとして機能していますが、これで満足してるわけではないので、あえて語り起こしてみたいと思います。(*というかそのダメポイントが改修されれば、大傑作映画ができると思っています)

まず、過去の名作達へのオマージュが今一つ下手です。パクりパクられみたいな件はシミュラークル的な問題ですし、もはやその世代が持つ記憶の問題ですが、単に絵面的にカッコイイから入れたというのがありありとしているため、観ていて恥ずかしいです。

例えば、茶々さまと五右衛門の関係は「カリオストロの城」だし、才蔵の家族が受ける仕打ちは「グラディエーター」、五右衛門と才蔵の若き日の対決は「FF8」のOP風、月をバックにした蹴り対決は「北斗の拳」、終盤の家康への接敵は「300(スリーハンドレッド)」という具合に、挙げればキリがないほど。これを気のきいたオマージュと受け取るか、下手くそなパクリと受け取るかは観客の主観によりますが、私は後者と受け取りました。

次に、物語はもっとスッキリまとめて欲しかったです。信長暗殺の真相や、才蔵と五右衛門の友情、石田三成の野望、根茎をめぐらす家康、五右衛門と茶々さまの淡い恋心などなど、色々な物語が重層的なハーモニーを奏でるのは良いのですが、終盤に「あ、まだ続くの?」みたいな展開が2回ぐらいあって少々くどかったです。違う言い方をすれば、クライマックス感を醸し出す演出をやりすぎなのかもしれません。

アクションシーンについてはもう一声も二声もほしい。超人的な身体能力表現は全然オッケイですが、あの妙にカクカクした動きには違和感を感じましたし、戦国無双的な蹴散らし表現はいくらなんでもやり過ぎです。あそこまで強いなら、「お前が天下統一して世の中平和にすればいんじゃね?」という話になってしまいます。

CGの違和感にもガックリさせられました。日常シーンは及第点をあげられますが、バトルシーンは見逃せないレベルです(特に草原!)。あそこまでゲームっぽい背景に人間を配置してしまうと安っぽい雰囲気が出てしまうし、統一感に欠けます。このCG使いの感覚は紀里谷最大の課題ですね。次回作に期待です。

最後に、音楽の使い方はもう少し控えめにして頂きたい。盛り上げ狙いで何回も「ジャジャーン」と大仰な音楽を鳴らされると、その意図とは裏腹に興が失われていきます。この問題は今作に限らず最近の映画で良くみられる傾向ですが、もう少し観客の想像力を信じても良いと思います。

という具合に、ダメポイントも沢山ある映画なのですが、何故か私はこの映画が嫌いになれません。おそらく紀里谷ワールドと相性が良いんでしょうね。

蜷川実花の「さくらん」、中島哲也の「パコと魔法の絵本」、ターセム・シンの「ザ・セル(J-LO主演)」のような、極彩色系の世界観を持つ映画はいくつかありますが、僕は紀里谷和明の「GOEMON」を支持します。次回作が公開されたら必ず劇場に観に行くと思いますし、前作の「CASSHERN」は未見なので、観てみたいと思っています。

P.S.
役者の演技は全員良かったです。みんな魅力的でした。
あと、佐藤江梨子、戸田恵梨香が超絶可愛かったです。

「GOEMON」
公開:2009年5月1日
配給:松竹、ワーナー・ブラザーズ映画
監督:紀里谷和明
出演:江口洋介、大沢たかお、広末涼子、ゴリ、中村橋之助、奥田瑛二、伊武雅刀、平幹二朗、寺島進、要潤、佐田真由美、玉山鉄二、佐藤江梨子、戸田恵梨香
上映時間:128分
興行収入:14.3億円
製作費:8億円

ジャーヘッド - 62点 ◯

若きマリンコのモヤモヤを描く。一風変わった戦争映画。

<作品紹介>アメリカで絶賛された元海兵隊員の自伝的小説を、「アメリカン・ビューティー」でアカデミー賞を総ナメにしたサム・メンデス監督が映像化。父親と同じ道を進むべく海兵隊に志願したアンソニー・スオフォード(ジェイク・ギレンホール)。マリーンでの地獄の訓練に耐え抜き、一流の狙撃手として成長した彼は、第一次湾岸戦争下のイラクに派遣されることになるが・・・

映画「ジャーヘッド」は、血気盛んな若き海兵隊員が戦場で”モヤモヤ”して帰ってくるという青春不発系のお話です。現代の戦争は白兵戦ではなくハイテク兵器でナシをつける時代。果てしない砂漠の中で繰り返される待機と訓練、マスターベーション、そして仲間とのバカ騒ぎ。身に付けた戦闘スキルを発揮する機会はない。そんな若きマリンコ(海兵隊員)のフラストレーションを軽快なリズムで描いた一品。

今作は戦争映画ですが、序盤の「フルメタルジャケット」の過剰なオマージュ(海兵隊・地獄の訓練シーン)に始まり、便所でのジェイミー・フォックスとの会話、カジンスキー中佐のアジ演説、X'masのバカ騒ぎ、罰当番のウンコ掃除などのコメディ要素がたくさんあり、そこかしこで笑かしてくれます。でも最終的には現代の戦争様式というシリアスなテーマへと着地させる。前半で油断していたぶん、その反作用で心をグッと掴まれました。これは非常に巧妙なやり口です。

音楽もカッコイイし編集も快調。主演のジェイク・ギレンホール、ジェイミー・フォックスの演技も小気味良くてGOODです。一風変わった戦争映画を観たい方は、是非この「ジャーヘッド」をご覧ください。ドンパチ系の戦争映画を期待すると肩透かしを喰らいますのでご注意を。

「ジャーヘッド」
公開:2006年2月11日
配給:ユニバーサル映画
監督:サム・メンデス
脚本:ウィリアム・ブロイルズ・Jr
出演:ジェイク・ギレンホール、ピーター・サースガード、ジェイミー・フォックス、ルーカス・ブラック、クリス・クーパー
上映時間:123分

八日目の蝉 - 87点 ◯

毒親からの負の連鎖を断ち、未来へと向かう人間を描いた秀作

角田光代原作のベストセラー小説の映画化。監督は「孤高のメス」の成島出。出演は永作博美、井上真央、小池栄子、森口瑤子、田中哲司など実力派俳優たち。

<あらすじ>不倫の末に妊娠が発覚するも、男の甘言に騙され、堕胎し、不妊の身体になってしまった希和子(永作博美)。その後、男の本妻が娘を産んだことを知り、衝動にかられた彼女はその子を誘拐し逃亡してしまう。母として自分を慕う娘を連れ、人里離れた場所で暮らす希和子だったが、居場所を突き止めた警察の手により、その生活は4年で終わりを告げる。そして十数年後、自分の存在に大きな疑問を抱えたまま大人へと成長した娘・恵理菜(井上真央)は、唯一心を許した妻子持ちの男・岸田(劇団ひとり)の子供を妊娠してしまう・・・。

ということで「八日目の蝉」を鑑賞いたしました。公開当初は、「なんか重そうな話だなぁ・・・」という印象があったため観賞の優先順位は低かったのですが、観てみてビックリ、とてもスッキリした気分で劇場を後にすることができる作品でした。なぜスッキリしたかというと理由は単純で、「親から受けたトラウマを克服する話」である今作の物語が最後に辿り着く結論がとても納得的だったからです。

*以下、ネタバレ含む(注:重力ピエロにも言及しています)

今作は、異常な生育環境からトラウマを背負った娘が皮肉にも育ての親と同じ過ちを犯し(=不倫の子を宿し)、その受難にどう立ち向かっていくか?という様を描いているわけですが、ドラマは不倫相手(劇団ひとり)との悶着や、家庭崩壊の元凶である父の不貞への断罪、あまつさえ母親との関係回復にも向かわず、失われた4年間を回想する旅がメイン。その道程で自分へと注がれた偽母からの愛情を思い出し、追体験することによって、歪ながらも親子愛を実感し、身籠った新しい命を愛おしむ心が芽生え、母として立ちあがる力を獲得するという展開をします。

恵理菜が受けたような情緒的虐待を取り扱った書籍、「毒になる親 一生苦しむ子供(スーザン・フォワード著)」によれば、「毒親」の親もまた「毒親」であった可能性が高く、そんな環境で育った子供もまた「毒親」になる(=親にされたことを自分の子供にする)可能性が高いと説いていおり、「あなたがもし毒親の子供なら、その《負の連鎖》をあなたの世代で断ち切ってほしい」と願っていました。

そして著者はトラウマ克服の処方箋として「情緒的虐待をした親を許さなくて良い」と説きます。これは親を許し、融和しようとしても、そもそも毒親は”許される能力”すらない(例えば今作の母親は、いくら恵理菜から歩み寄っても”あて付け”と受け取ってヒステリーを起こす自家中毒状態に陥っている)のだから、一見してトラウマ克服の正攻法にみえる”家族再生”という手段は大いなる幻想である、ということを意味しています。つまり「過去に囚われず未来に向うことこそが正攻法」ということですね。

この処方箋は、「八日目の蝉」で恵理菜が辿り着いた境地とも共鳴しており、トラウマ克服の在り方として非常に納得的です。故に、これから産まれてくる我が子と共に生きる(=未来へ踏み出す)決意をした恵理菜がクライマックスで見せた強さと優しさに満ちた涙顔に、私はとても感動してしまいました。

ちなみに私は、今作を観て映画「重力ピエロ」を思い出しました。「重力ピエロ」は、母親をレイプした犯罪者を実父に持つ男(しかも母親の夫が産むことを許し、実の息子として育てた)が、自己承認の問題をこじらせ、出所してきた実父に私的制裁を下し、決別するというお話で、その血みどろの決着とは裏腹に妙な一件落着感を醸した呑気なエンディングで締め括ってはいましたが、無論その行動は犯罪であり、いづれ破滅を迎えるという意味で、”過去のわだかまりと心中しただけ”という印象の映画でした。

両者共に常軌を逸した文脈を抱え、自己存在に疑問を抱き、生きることが苦痛になっている人間を描いていますが、過去と血みどろの決着を果たした「重力ピエロ」と、過去を振り解いて未来へと進む意思を示した「八日目の蝉」をみるに(長くなってきたのでイロイロすっ飛ばして結論づけると)、私は「八日目の蝉」の方が正しい生き方だと思います。この違いは原作者の性別の違いからくるのかもしれませんね。*ピエロ=男、蝉=女

とかなんとかで、今回はこの作品から受け取ったテーマ(トラウマ克服の物語)に焦点を当てて語ってみましたが、その他にも女優陣の迫真の演技や、様々な時間軸を行き来する劇展開、演出のセンスなど、映画として見心地の良い部分がたくさんある作品ですので、気になった方はぜひご覧ください。

「八日目の蝉」
公開:2011年4月29日
配給:松竹
監督:成島出
製作総指揮:佐藤直樹
脚本:奥寺佐渡子
出演:井上真央、永作博美、小池栄子、劇団ひとり、田中哲司、森口瑤子、市川実和子、風吹ジュン、余貴美子、田中泯
主題歌:中島美嘉
上映時間:147分

GANTZ PERFECT ANSWER - 48点 △

愛と友情が駆動した自己犠牲と秩序回復の美談・・・なの?

<あらすじ>幼なじみの加藤を生き返らせるべく、日々ガンツのミッションに参加していた玄野。そこへ突如加藤が現れる。不可解な加藤の復活に呼応して起こり始めるガンツの異変、そして次なるターゲットは絶望の淵にいた玄野を救った小島多恵だった・・・。終わることのない戦いの中、玄野と加藤が下した究極の選択(≒PERFECT ANSWER)とは―。

ということで人気カルト漫画「GANTZ」の実写映画化第二弾、題して「GANTZ PERFECT ANSWER」を観たわけですが、なかなかどうして、”完璧な答え”と銘打たれた今作を観た僕の頭は疑問符でいっぱいです。パーフェクトアンサーとは一体何なのか?原作が未完の段階でこの題名をつけたその度胸は買いたいところですが、大風呂敷を広げた割には今いち釈然としない結末でしたので、これは集客戦略上のハッタリだったと解釈せざるを得ません。

原作を読んだ観客であれば尚更ですが、この強烈な題名が抱かせる期待は、当然ながら「GANTZって何?」、「星人って何者?」、「いつ地球にきたの?」、「何人いるの?」、「なんで戦ってるの?」といった謎に対する回答なわけですが、今作にはその答えが無いどころか、星人達が人間に向けて放つ文脈性を欠いた怨念の表明がむしろ謎を深め、混乱を誘っていきます。

100歩譲れば、謎をウヤムヤにした制作者の意図は理解できなくもありません。このGANTZという謎の球体が仕掛ける不条理は単なる物語を駆動させるための装置であって、その謎の究明を描きたいわけではなく、その不条理に見舞われた人間たちの悲壮なドラマをこそ見せたいのかもしれません。そして、主人公の”あの最終選択”こそが「パーフェクトアンサー」なのでしょう。それはわかります。わかるんですけど、何なのでしょうか?この古くさい昼ドラを見た後のような、しょっぱい観賞後感は?

※以下、ネタバレっていうか

GANTZが仕掛ける不条理を無理やり深読みして作文すれば、人間誰しもがその生において逃れられない闘争や支配、収奪のメタファーとして受け取れるかもしれません。「無自覚に殺し合う命達・・・」のように、星人達との果てしない戦いを、vs人間(=覇権闘争、疑心暗鬼)、vs動物(弱肉強食、家畜化)、vs自然(環境破壊、汚染)などなど、いろいろな比喩として当てはめることができるかもしれない。そして、そのモロモロに安易なアンチテーゼを唱えるようなナイーブな姿勢ではなく、「そういう不条理こそが世界そのものであり、それを成立させる為にさえ犠牲が伴っているのだ」という調子の、なにやら深遠で、意味あり気な話に受け取れるっちゃ受け取れるんですけれども・・・これって殆ど私の作文ですよね。この映画をそういう視座で楽しむのはかなり無理があります。

だからこそ、そういったテーマの深読みよりもGANTZというマクガフィンが駆動している人間ドラマに注意がいってしまう。それは多恵ちゃんとの恋愛や、幼馴染である加藤との友情、加藤兄弟の兄弟愛といった件なんだけど、これがまたひどく断片的でかつ浅薄な描写なため、それらを守るために払われた主人公の自己犠牲と仮初めの秩序回復がとても矮小なモノに感じられてしまいました。

それに、犠牲の内実もかなり飲み込みずらいものでした。それは自身の電池切れ(=電源として玉の中に繋がれてる人間の寿命)が迫っているGANTZが、玄野に”電池になってもらう”ことを頼むという突拍子もない内容な上に、GANTZと玄野にどういう交流があったかはもとより、玄野が選択の葛藤を抱えているような途中経過も一切描かれないため、取ってつけた感が激しかったです。というか、そもそもあれだけハイテクなGANTZに電池切れが起きるという事態そのものが釈然としませんし、あろうことかあの傲岸不遜なGANTZが最期に「ありがとう」とかお礼を言っちゃう始末。一体なんなんでしょうかコレは。

それまでGANTZは「てめぇ達の命はなくないました新しい命をどう使おうと私の勝手という理屈なわけだす」とかって態度の不敵な存在だったじゃないですか。あれだけ人間を好き勝手に弄んでたのだから、誰か適当なヤツを勝手に電池にしちゃえば良くね?と思うのが普通の感覚ですが、劇中では悲壮な決意を抱えた玄野が自己犠牲を選択し、GANTZはその行為に感謝の意を示します。さらに、よくよく考えたらこれ以上犠牲者を出さない為にはGANTZの電池は切れてしまった方がいいのに、エンディングでは「こうして平穏な生活が戻ってきた・・・」的なニュアンスの後日談さえ描いてしまう。これはもはや腑に落ちないというよりもシラケてしまうるレベルです。

という具合に、残念ながら「GANTZ PERFECT ANSWER」は「どこがパーフェクトじゃい!?」とツッコミを入れざるをえない根本的な欠陥を抱えています。さらに、その他にも田口トモロヲの矛盾した行動、水沢奈子ちゃんのガッカリパ○ツ、山田孝之の意味無しっぷりなどのウィークポイントが多々散見される作品なので、観賞に際してはぜひ注意していただきたいのですが、映像的な品質は高いですし、二宮和也、松山ケンイチ、綾野剛、吉高由里子などの演技が光るポイントもいくつかありました、それに私の作品に対する期待値が高過ぎた感もありますので、フツーにみれば普通に観れる映画だと思います。

ちなみに二宮和也 vs 綾野剛の地下鉄バトルはちょっと良かったです。CGを駆使した映像の迫力もさることながら、綾野剛の人ならざる存在感がよく表現されたアクションが実に素晴らしかった。彼は「クローズZERO II」の喧嘩シーンでも見事なアクションシーンを見せていましたが、今後の出演作もチェックしたくなる俳優さんですね。あと、多恵ちゃんを背負ってビルの屋上をピョンピョン飛び回る光景には、紀里谷和明監督の「GOEMON」を観ているような既視感を覚えつつ、なんだか面白かったです。

→前篇「GANTZ/ガンツ」の批評はこちら

「GANTZ PERFECT ANSWER」
公開:2011年4月23日
配給:東宝
監督:佐藤信介
原作:奥浩哉
脚本:渡辺雄介
音楽:川井憲次
出演:二宮和也、松山ケンイチ、吉高由里子、伊藤歩、田口トモロヲ、山田孝之、綾野剛、本郷奏多、水沢奈子
製作費:40億円(2作合計)
上映時間:141分

その街のこども 劇場版 - 63点 O

人と人との分かち合いを肯定的にとらえる優しさに満ちた映画。

<作品紹介>1995年1月17日午前5時46分、「街」は一瞬で破壊され、ぼくたちは生き残った―。こどもの頃に震災を体験し、いまは東京で暮らす勇治(森山未來)と美夏(佐藤江梨子)。彼らは「追悼のつどい」が行われる前日に神戸で偶然知り合い、震災15年目の朝を迎えるまでの時間を共に過ごすことになる。震災が残した心の傷に向き合うため、今年こそ「追悼のつどい」に参加すると心に決めていた美夏に対し、出張の途中に“なんとなく”神戸に降り立っただけだと言い張る勇治。全く異なる震災体験をしたふたりの間には、大きな溝が広がっているように見えた。しかし、“ある場所”に差し掛かったとき、美夏は勇治が長年抱え込んできた過去を垣間見ることになる。復興を遂げた真夜中の神戸の街を背に、これまで語ることのできなかったふたりの想いが、不器用に溢れ出そうとしていた─。

2/13の最終日、恵比寿ガーデンプレイス内にある東京都写真美術館で「その街のこども」を観てきました。−被災者の男女が神戸の街を夜通し歩くだけの話− そんな事前情報からどんな内容か楽しみにしていたのですが、今作は阪神・淡路大震災が不条理の象徴としてアッサリ描かれている点がとても印象的ですね。観る前は「当時の貴重な映像がたくさん観れるのかな」という先入観があったのですが、 そういう映像の使用は極力控え、震災の記憶を抱える登場人物達の振る舞だけで炙り出す災害の爪痕が逆にリアルで、胸に迫る内容になっていました。

被災者でありながら、大怪我をしたり、住居を失ったり、家族を失ったりするような直接的被害を受けていない主役の二人。しかし、震災による心の傷は確実に刻み込まれており、それが他者からの共感を得やすい”わかりやすい痛み”ではないぶん逆にやっかいで、誰にも打ち明けられないまま、15年経った今も癒されないまま疼いている。そんな共通点を持つ二人が震災のメモリアルデーに偶然出会い、危うい綱渡りのような対話や交感を通じて少しづつ心を開き、お互いの傷を癒し合っていく。そのささやかながらも感動的な様子は、「心の欠落こそが他者へと繋がる可能性」という示唆を与えてくれた映画「空気人形」にも似た、人と人との分かち合いを肯定的にとらえる優しさに満ちていました。

*以下、ネタバレ含む

しかし、不満を感じた点もあります。それは美夏の葛藤が溶解する例のシーン(なんでアンタが手振ってるのよ~!からの笑い泣き)と、最後の二人でダッシュするシーンに感じた違和感です。何故か私はあの辺りから急速に興が失われていく感覚に襲われてしまいました。

これは個人的に佐藤江梨子さんの泣き演技が苦手というのもあると思いますが、それまでのハイでもローでもない絶妙なテンションでテーマを描き上げていた映画の空気が一変して、わかりやすくドラマを盛り上げる方向にギアが入ったあの感じに「う~ん、こういう盛り上げはいらないのになぁ…」と思ってしまったんです。この映画の雰囲気ならば、下手に盛り上げる方向に振らないで、あてどなく揺蕩(たゆた)うような心細いテンションのまま、それでも最後にほんの少しだけ確からしい何かが仄見えるような、そんな雰囲気にしてほしかったんです。(そういう着地をしてるっちゃしてるんですけど・・・なんか素直になれないというか)

という感じで、私にとって気持ちの整理ができてない作品だったりします。しかし、このような不満はあくまでも個人的なものであって、二人のナチュラルな演技と、テーマに向けて丁寧にアプローチする監督の手腕に間違いはありません。映画「その街のこども」はオススメです。

「その街のこども 劇場版」
公開:2011年1月15日(土)
配給:トランスフォーマー
監督:井上剛
脚本:渡辺あや
出演:森山未來、佐藤江梨子、津田寛治
音楽:大友良英
主題歌:阿部芙蓉美
上映時間:83分

GANTZ/ガンツ - 53点 O

ルックスはOK!でも「GANTZってそういう話だっけ?」感が・・・。

<作品紹介>日本のみならず欧米でもカルト的な人気を誇る奥浩哉の人気コミックを、前・後編の2部作で映像化したSFアクション。主演は初共演となる二宮和也(from 嵐)×松山ケンイチの若手実力派俳優コンビ。共演には夏菜、本郷奏多、田口トモロヲ、吉高由里子など。監督は、「砂時計」の佐藤信介。

<あらすじ>さんざんな結果に終わった就職面接の帰り。駅のホーム。主人公・玄野(くろの:二宮和也)は偶然再会した小学生時代の親友・加藤(松山ケンイチ)と共に、酒に酔って線路に落ちたホームレスを助けようとして電車に轢かれ死んでしまう。しかし、次の瞬間、彼らは見知らぬマンションの一室にいた。そこには死者が集められており、部屋の中央には謎の大きな黒い球が・・・。そして死者達は「ガンツ」と呼ばれるその球に“星人”と戦うように指示され、バトルフィールドへと転送されていく。目的も、理由もわからないまま、謎の星人との戦闘に放り込まれた玄野と加藤はどうなってしまうのか!?

「GANTZ」はもとより、短編集の「赤」「黒」、いやデビュー作「変[HEN]」からしてそうですが、奥浩哉の作品は、物語やテーマをきちんと語り起こすというよりも、魅力的なキャラクター造形や独創的な世界観、そして“俺たち”の需要に応える過激描写、フェティッシュな性描写といった表現(≒おそらくは作者本人の快楽原則に則った表出)で読者を魅了し、そのラッシュの中で時折 “何か”がアレゴリカルに浮かび上がるような作風ですよね。

そして、その内容は暴力や性愛といったタブーを巨乳で彩ったものが主(笑)そんな特異な奥浩哉作品を日本テレビが主導してどんな映画にするのか?(いや、できるのか?)とても着目していましたが、結果的にはTVサイズに漂白された無難なSFアクション映画になっていましたね。

そんなPG12レベルに漂白された「暴力」や「性愛」そして「巨乳」描写はコアなGANTZファンからすれば「こんなのGANTZじゃないやい!!」とスネたくなるわけですが、映画的なルックスは非常に良かったので、(第二部への期待も込めて)それなりに楽しめる作品ではあると評価したいです。

特にガンツスーツ(ヱヴァンゲリヲンのプラグスーツの黒版みたいなの)や武器(Xガン、Yガン、Xショットガン、ガンツソード)などの小道具のクオリティーが高く、ロケーションやセットも上々、役者のキャスティングもバッチリなため、見た目的な文句はゼロ、というか100点満点じゃないでしょうか。予告編で抱かせた「おっ!ちょっとカッコイイかも!!」というビジュアルへの期待にはバッチリ応えてくれました。

星人達とのバトルも軒並み及第点をあげたいレベルで、ステージが進むにつれて見せ方がどんどん雑になっていった感は否めないものの、なんだかんだで楽しかったな、という観賞後感を味わうことができました。ま、「はやく撃てよ!!」的なフラストレーションの溜まる展開や、「あれ、そんなんで終わっちゃうの?」みたいなスケールダウン、大ピンチなのに延々と愁嘆場を繰り広げる演出なんか嫌気がさす場面もチラホラありましたが、こういうのはもはやTV局が制作する映画にはありがちで、免疫ができているので目くじら立てて怒る気はしません。

それよりもなによりも、1つとても心配な点があります。主人公・玄野が冒頭の就職面接シーンから終盤にかけて台詞で劇中3回も「人間には誰しも役割がある云々・・・」的なコトを言うのですが、まさか・・・GANTZで「世界に一つだけの花」的な、君もオンリーワンだよみたいなことは語らないですよね?GANTZでそんなこと語られた私、発狂してしまいうかもしれません。

あと、これはこの映画最大のダメポイントなんですが、川井憲次の音楽がイマイチでした。GANTZのイメージに全然あってなかったし、そもそもでサウンドが古臭いです。ここ最近の押井守作品でもちょっと引っかかってましたが、川井サウンドってちょっと賞味期限切れ感が出てきてませんかね?パトレイバー時代は「最高!」って思ってましたけど、このGANTZの音楽は超ダサく感じました。特にエンドロールの曲なんか最悪。中途半端なパトレイバー感とにわか仕込みの前衛感(低音コーラスのサンプリング)の折衷みたいな雰囲気がとてもダサく、恥ずかしくて聴いていられませんでした。

ということで音楽はもういっちょだったのですが、前述の通りビジュアルはホント素晴らしく、その見た目的な説得力で「何だかオッケイ!」な気分にさせられたのは事実。第二部に期待感をつなぐという役割は果たせています(ちなみに私は100%第二部も観に行きます)。というコトで今回は甘めに評価してみましたが、スタッフの皆さんを応援する意味でも映画「GANTZ」オススメしちゃいます。でも、次はもっとGANTZらしい描写の大盛りを期待していまス!

P.S. 今思い出したんですが、劇中数回ある転送シーンがかったるすぎて眠くなりました。アレは一回みせたら後は飛ばしてOKです。

→後編「GANTZ PERFECT ANSWER」の批評はこちら

<キャスティング>
玄野計:二宮和也/加藤勝:松山ケンイチ/小島多恵:吉高由里子/西丈一郎:本郷奏多/岸本恵:夏菜/謎の集団のリーダー:綾野剛/謎の集団の少女:水沢奈子/加藤歩:千阪健介/桜井弘斗:白石隼也/鮎川映莉子:伊藤歩/鈴木良一:田口トモロヲ/重田正光:山田孝之/杉本カヨ:市川千恵子/杉本亮太:春名柊夜

<キャッチコピー>
「残された最後のカリスマコミック、禁断の実写映画化」
「試されるのは、友情でも愛でもない、生存本能」

「GANTZ」
公開:2011年1月(前編)2011年5月(後編)
配給:東宝
監督:佐藤信介
原作:奥浩哉
脚本:渡辺雄介
音楽:川井憲次
出演:二宮和也、松山ケンイチ、吉高由里子
製作費:40億円(2作合計)

僕と妻の1778の物語 - 23点 X

題名のネタバレと、肝心な場面で水をさすSF演出にションボリ・・・

<作品紹介>フジテレビ系列で放映された草磲剛の「僕シリーズ」の最新作。SF作家の眉村卓と大腸ガンで逝去した夫人との感動の実話を基にしたストーリーを「笑の大学」の星護監督が映画化。仲むつまじい夫婦を演じるのは、「黄泉がえり」以来の再共演となる草磲剛と竹内結子。共演には谷原章介、吉瀬美智子、風吹ジュンなど。

<あらすじ>SF作家の朔太郎(さくたろう=草なぎ剛)と銀行員の妻・節子(せつこ=竹内結子)は、高校1年の夏休みに付き合い始めてからずっと一緒だった。だがある日、腹痛を訴えた節子が病院に入院し、彼女の体が大腸ガンに冒されていることが判明。余命一年であることが宣告されてしまう。途方に暮れる朔太郎だったが、医師(大杉漣)が話てくれた「笑うことで免疫力が上がりガン細胞が消滅するという説がある」という言葉を信じ、最愛の妻だけに向けて毎日原稿用紙3枚以上の短編小説を書くことにする。

愛する人のために自分のできるベストを尽くす―。それは素晴らしいことですよね。この映画の主人公もそうで、不器用ながらも妻を愛し、小説家である自分のやれること(=小説を書くこと)で、病気と闘う妻を元気づけるために毎日健気にがんばっていました。

私はこの手の感動話にはめっぽう弱いので、観賞にあたって「この映画は泣いてしまうかもしれない」と思い、ハンカチを用意して劇場に行きました。がしかし・・・残念なことに鑑賞中涙が頬をつたうことはありませんでした。こういった実話ベースの感動物語に注文をつけるのは非常に心苦しいのですが、完成度に不満を感じたのは事実なので、一つづつ指摘させて頂きます。

まず、「僕と妻の1778の物語」という題名からして大問題で、開幕早々のタイトルバックの時点で致命的なネタバレが発生しています。観客の多くは妻が死ぬという展開は事前に承知した上で観ているわけですが、そのタイムリミットまでは知りません。そこへきて”1778”という数字を出しちゃうのはマズイです。

劇中何度も「第○○○話」と書かれた原稿用紙を映し、最終話に向けてカウントアップしていくという演出がありますが、 その最終話が1778話であるということが題名のせいでバレてしまっているため、途中節子がいくら苦しんでも「まだ○○○話だし、ここでは死なないよな」と余計なことを考えてしまい、 シリアスな緊張を感じることができませんでした。

次に、主人公(朔太郎)が執筆するSF小説を再現したヘンテコリンなCG映像がミスマッチでした。前半の妻がガンだと判明する前の二人のささやかな幸せパートにおける、朔太郎が小説の着想の得るアヴァンギャルドなCG演出はまだしも、中盤以降、闘病生活が佳境に入ってからも同じヘンテコリンなノリを続けるので、せっかく心が感動しかけているのに冷水を浴びせられるような気持ちになりました。あろうことか今際の際にまでそのノリが貫かれるに至ってはもう発狂寸前で、泣けないどころか呆れてしまいました。

最後に、この内容で139分は長過ぎます。このお話は死期が迫った妻の傍で小説を書きながら添い遂げるという道筋意外に一切脱線しない(というかできない)ため、基本的には朔太郎が小説を書く → 妻が苦しむ → でも大丈夫、みたいなことの繰り返しを反復するだけなわけですが、1778話という終着点がわかってしまっている分、「まだ○○○話か・・・」とかったるく感じていしまいました。

さらにもっと突っ込めば、この物語は「妻のためにここまで頑張った男がいた」という1フレーズ以上にお話を膨らませようがないので(実話であることが最大のバリューなのでそれは御法度)、実はそもそも長編映画として1つの物語を紡ぐポテンシャルのない題材なのではないか?と思ってしまいました。(*「奇跡体験アンビリバボー」とかで取り上げるのに調度良いサイズなのだと思います)

*以下、ちょっとネタバレ

というような理由で、この作品が私の琴線に触れることはなかったのですが、良い部分もちゃんとありました。例えば単なる美談だけに着地させずに、実は小説を書く行為は朔太郎の心の安定のため(=妻のためというより自分のため)で、妻にとっては逆にそれが負担になってしまった面もあるという部分も真摯に描いていたし、そこを朔太郎が認める流れにはグッと来るものがありました。

あと、余命が一年であることを朔太郎が隠していることを察する竹内結子や、妻の衰弱(抱きかかえた体重が軽くなっている)を感じてショックを受ける草磲剛、節子がガンであることを聞いた朔太郎の親友・谷原章介の表情など、役者の演技が光る部分も結構ありましたし、節子が自分の体の変調を自覚することを表現したかのような台所の空瓶ごしに写された顔がグア~・・・と歪む撮り方の演出など、ところどころに良い所もあったんです。でも!・・・やはり上述したポイントの減点が大きすぎて、最終的には差し引き多くの不満が残る映画でした。

「僕と妻の1778の物語」
公開:2011年1月15日(土)
配給:東宝
監督:星護
脚本:半澤律子
出演:草磲剛、竹内結子、谷原章介、吉瀬美智子、陰山泰、小日向文世、浅野和之、佐々木すみ江、大杉漣、風吹ジュン
上映時間:139分

バーレスク - 90点 ◎

新旧2大ディーバが起こすミラクル!歌声の圧倒的説得力に感動!

<作品紹介>世界レベルの人気を誇るアーティスト、クリスティーナ・アギレラが、初めて演技に挑戦した映画「バーレスク」。共演には「ふたりにクギづけ」以来約7年ぶりの映画出演となるシェールほか、「プラダを着た悪魔」のスタンリー・トゥッチ、TVドラマ「ヴェロニカ・マーズ」のクリスティン・ベルなどが名を連ねる。そして、時代を超えてバーレスクの世界を再現するのは、実際にバーレスクショーの脚本を書いた経験を持つスティーブ・アンティン監督。

<あらすじ>片道切符を握りしめ、歌手になる夢を追いかけてロサンゼルスに来たアリ(クリスティーナ・アギレラ)。そこで彼女の心を奪ったのは、経営難に喘ぎながらも歌手兼オーナーのテス(シェール)が手がけるゴージャスなショーで毎夜観客を魅了するクラブ「バーレスク」だった。ここで働きたいと願うアリを最初は認めなかったテスだが、アリの情熱に負けダンサーとしてステージに立たせる。そしてある夜、ステージで起きた音響トラブルを奇跡のアカペラで乗り切ったアリはバーレスク・クラブの看板スターにのし上がっていく。かくして活況となるバーレスクだったが、借金の返済が滞っており立退きの期限が迫っていた。そんな時、アリは大物エージェントのマーカスから引き抜きの誘いを受ける。クラブの危機を救うのか?己の夢をさらにステップアップさせるのか?帰路に起たされたアリの選んだ道とは―。

この手の絢爛豪華なキャバレー映画は「ショーガール(1995)」、「ムーラン・ルージュ(2001)」、「シカゴ(2002)」などを観てきましたが、今作「バーレスク」がブッちぎりのナンバー・ワンですね。クリスティーナ・アギレラ、そしてシェールと本物のパフォーマーを主役に迎えたアドバンテージを最大限に生かし、その圧倒的な存在感で劇を盛り上げてくれるので、爽快な気分で劇場を後にすることができました。ここ最近しみったれた映画が多かったのでホント嬉しいです。

予告編をご覧になればわかるとおり、今作最大の見所は新旧2大ディーバが繰り広げるクラブ・バーレスクでのゴージャスなショーですが、実際のところホントに素晴らしかったです。美しい色彩が飛び交う豪華なステージ、煌びやかな衣装、妖艶なメイク、力強いダンス、そして神懸かった歌声。激しい曲から、美しいバラードまで、問答無用でエモーションの嵐が押し寄せます。特に印象的だったのが、リップシンクが基本のバーレスクがアリの歌声によってドラマチックなライブショーに生まれ変わる「Express」と、クラブ存亡の危機に陥ったテスが再起する「You Haven't Seen The Last Of Me」(私はここで泣いた)、あとラストシーンのド派手なショーで流れる「Show Me How You Burlesque」。ホントこの映画の音楽は最高でした。

役者の演技もみんな素晴らしくて、サプライズは演技初挑戦のクリスティーナ・アギレラですよね。ショーでのパフォーマンスは文句なく神懸かってたし、これが初めてだなんて信じられないほど演技も上手くて、表情一発とってみてもホントに豊か。喜怒哀楽いろんな場面で関心させられました。この人は正真正銘の表現者ですね。あと見た目に関しても「可愛い・美しい・セクシー」と色々楽しめてホント幸せ。私はこの映画で彼女の虜になってしまいました。

一方のシェール師匠も半端ないです。まずあの美しさは奇跡としか言いようがありません。64歳であのミニスカート、あのハイレグを着こなせる人は滅多にいない。マドンナのレオタードどころの騒ぎじゃないですよホント。シェール師匠の美に対する姿勢とその実践に心底感動してしまいました。無論、貫録たっぷりなテス演技も完璧で、感服いたしました。ちなみな話、日本女優でいうと夏木マリ(58歳)、萬田久子(52歳)的なラインが近いと思いますが、彼女らも目指せシェールですよ。絶対イケます。

あと「プラダを着た悪魔」でアン・ハサウェイを「Size Six!」と呼んでいたスタンリー・トゥッチ(舞台監督でテスのパートナーのショーン役)も超イイ味出してたし。アリのボーイフレンドのジャックのお人好しキャラも最高だったねー。こんだけ起ったキャラクターが出てくるんだからつまんねーわけねースわホント。

さらにそれだけに終わらないのが「バーレスク」のスゴイところ。実は物語の内容もイイ。夢見る女性のサクセスストーリーを骨子に、ジャックとの微笑ましいラブ・ストーリーや、テスとの疑似的な母娘関係、世代間闘争などを絡めることによって、ともすれば「ただ楽しいだけで中身は薄い」と評されがちなミュージカル映画の水準から一段上の、エンタテインメントに仕上げてあると思います。

実はこの映画については、ショーの楽しさよりも物語の素晴らしさを語りたい。

*以下、ちょっとネタバレ

まず、サクセスストーリーですが、ここのカタルシスの与え方が実に巧妙。田舎でのオープニングでアリの圧倒的パフォーマンスをみせつけて観客の心を鷲掴みにしておいて、一旦テスやショーンらに彼女を見下させて、なかなかパフォーマンスをさせない。で、観客のストレスをイイ感じに淀ませておき、「もう我慢ならん!」となった頃合いに奇跡のステージぶちかます!という構成で、観客は「キターーーー!!」式の極上カタルシスを味わうことができます。素晴らしいやり口ですね。

ラブ・ストーリーは一見地味なんだけど、逆にそれがイイ。今作はショーの派手さやセクシーさが激しいので、あまり劇的でロマンチックな方向にふられたら食傷しちゃうので、ホッとするような素朴な感じがイイ具合でした。てか相手役のジャックがお人好しのホントいい奴なので、コイツには幸せになってもらわなきゃ困るって祈りましたよ。お約束のひと波乱もちゃんとやってくれてますし、この恋愛描写はGOODです。

アリとテスの疑似母娘関係もグッときちゃいますね。バーレスクにおけるテスはダンサー全員のお母さん的な感じで、妊娠して不安になってるダンサーを抱きしめて元気づけてあげたり、迷惑かけまくって出てったニッキー(アリのライバル)が戻ってきた時も何も言わず「おかえり」と言ってあげたりと、厳しいながらも優しい。私は家族関係が希薄な家庭に育ったので、こういうの見せられるとそれだけで泣けてきちゃうんだよね。

で、最後に世代間闘争問題。これが実は「フラガール」の娘(蒼井優)と母(富司純子)の関係図式に近い。エネルギーショックの時代に、終わりゆく産業である炭鉱(≒過去の因習≒自分のアイデンティティー)にしがみつく母は、フラダンスなんてチャラチャラした仕事をする娘が許せなくて勘当してしまうのですが、娘宛に届いた小包を渡すために立ち寄ったレッスン場で、一人黙々と汗を流しながら一生懸命練習するわが娘の姿(≒未来への希望)を見て感動するんですよね。で、娘の為にある行動をとる(例の号泣シーン「ストーブ貸してくんちぇ!」ですよ!みなさん!(笑)

アリとテスもこれに近くて、ようは新世代が旧世代を”感動させること”無くてして、世代間闘争の終結はありえないのだ!という重要な学びを得ることができるんです。

今作ではアリが何か言おうとすると悉(ことごと)くテスが「黙らっしゃい!」的な感じで口を塞いでしまう。歌に自信があるアリは口パクが基本だったバーレスクのリップシンクショーよりも生声で歌うライブショーの方が観客が増えると思っていて、それを進言するんだけれども、テスは「客はダンスを観に来てるのよ!」と旧態依然とした態度でそれを許さない。もしかしたらその古いやり方が経営難を招いたかもしれないのに・・・。

で、ある音響アクシデントが起きた夜に、アリのアカペラが奇跡的にそれを救う、それと同時にテスの脳裏にバーレスク再起のイメージを鮮烈に刻みつける。ここがまさにアリがテスを感動させた瞬間で、ドラマが急激に加速する引き金になるんだけど、アリのサクセスと世代間闘争の融和が同時に起こる素晴らしいカタルシスになってるんだよね。いや~深いよバーレスク。この映画はホント派手で楽しいだけじゃなくて、色々と歯ごたえがある映画ですよ。

という感じで、言葉の限り褒めまくってきたのですが・・・最後にちょっと文句も言っておきたい。

まず、中盤の随所で劇展開がもたつく。これはダメですよ。ショーのシーンが素晴しいのは間違いないのですが、今作には経営難や恋愛、アリのサクセスなど、進めなきゃいけない件がいくつかあるのに、中盤以降「桃鉄」の”牛歩カード”を使われたかの如く劇展開が鈍重になっていって、しばらくショーばかりが流されてしまう。全部ではないけれど2~3曲分ぐらいの間ドラマの進捗が完全に止まった状態なので、飽きちゃう人が出てきてもおかしくない。(私的にはそろそろ話し進めてくれないかな・・・、ぐらいの時にグッとくる曲がきたりして気分が戻ったりしたのですが)

あと、諸問題の解決にご都合主義が多い。ま、この映画は他の要素が最高なので「そういうのどーでもいーから!!」っていう気分であることは間違いないのですが、そういう部分も完璧にしてくれてたらチビッちゃうぐらい傑作になったかと思うとちょっと悔しいです。だから−10点です。

ということで褒めてるだけだと恥ずかしいので、最後にちょろっと文句も言いましたが、トータル私は感動しまくりの幸せな時間を過ごせました。ということでこの映画は超オススメです!

&長文読んでくれてありがとう(^^

P.S. 日本の公開日12月18日は主演のクリスティーナ・アギレラの誕生日なんだってね。おめでとう。

「バーレスク」
公開:2010年12月18日(土)
配給:S.P.E
監督:スティーヴ・アンティン
脚本:スティーヴ・アンティン
出演:クリスティーナ・アギレラ、シェール、クリスティン・ベル、キャム・ギガンデット、スタンリー・トゥッチ、エリック・デイン、アラン・カミング、ジュリアン・ハフ
上映時間:120分

パラノーマル・アクティビティ 第2章/TOKYO NIGHT - 39点 △

カメラ小僧な中村蒼のキャラが怖かった(≒面白かった)

<作品紹介>全米で社会現象を巻き起こし世界中で大ヒットした超低予算ホラー映画「パラノーマル・アクティビティ」の続編を日本を舞台に製作。監督は長江俊和。出演は人気若手俳優・中村蒼とモデルの青山倫子。アメリカで事故に遭い、帰国後しばらくの車椅子生活を余儀なくされた山野春花(青山倫子)は、ある朝車椅子が不自然に移動していることに気づく。はじめは弟・幸一(中村蒼)のいたずらだと決め付けていたが、好奇心から幸一が設置したビデオカメラには衝撃の映像が記録されていた・・・。

「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」や「パラノーマル・アクティビティ(前作)」のようなオカルト系のモキュメンタリー映画は今まで観たことがなかったので、今作「パラノーマル・アクティビティ 第2章/TOKYO NIGHT」がお初です。さらに私、ぶっちゃげ怪奇系のジャンル映画自体、劇場版「リング」、「らせん」ぐらいしか観たことがなく、J-ホラー文化には馴染みが薄いため、この文章、相当ふわふわしたモノになると思いますのでその辺はご勘弁くださいませm(_ _)m

で、こんな私でも気になったのがキャスティングで、モキュメンタリーに中村蒼(=有名若手俳優)なんか出しちゃったら”役者による演技”という事実性が強調されて乗れないのではないか?と心配していたわけですが、実際のところ中村蒼くんの演技は極めて自然で、要求される本物っぽさを十分満たしており、全然オッケイでした。一方、姉役の青山倫子も、冒頭の姉弟のじゃれあい演技がわざとらしかったり、自宅で車椅子生活してるわりにはメイクも服装もバッチリで違和感があったりしましたが、だんだん慣れてくるにつれて気にならなくなり、事前の心配は杞憂に終わります。

*以下、ネタバレぎみ

内容の方は単調な構成で、日中の「この家ヤバイよ姉ちゃん・・・」みたいな対話と、深夜に起きる「ギャーー!!」みたいなパニック描写の繰り返しが何回か続き、やがて弟の話に懐疑的だった姉が「実は私・・・」みたいなことを言い始めて、最終的にはホントに(かつ具体的に)怖いことが起こるという、起承転結を地で行く展開なのですが、ナニが起きる時、必ず「ゴゴゴゴゴ・・・」という不穏な地響き音が鳴っちゃうため、その音が鳴り始めたら「あ、くるな」ってのがわかってしまう。

しかも、画面内で起こる怪奇現象は、ドアが開いたり、車イスが動いたり、ガラスにヒビが入ったりというTV番組の心霊特集でやる再現VTR並みの内容ですし、最終的にカマされるビックリ仰天の展開もパンチ力不足な上に、「大惨事が起きた民家から発見されたビデオである」という説明と矛盾する霊安室の映像は、モキュメンタリーとして完全にルール違反で、何だかなぁという感じ。そもそも全体的に予測可能な怪異ばかりが起こるのであまり怖くないし。唯一戦慄が走ったのは、終盤にお姉ちゃんが…なところぐらいでした。

むしろこの映画で怖かった(=面白かった)のは、撮影を嫌がるお姉ちゃんに「もう一晩だけお願い!っていうかイイじゃんマジで!」みたいに逆切れ気味に駄々をこねる中村蒼くんや、「お前カメラ何台持ってんの!?」とツッコミたくなるほどカメラ小僧な中村蒼くんや、姉ちゃんの部屋を盗撮してヘラヘラしてる変態チックな中村蒼くんや、一刻を争う事態にちゃーんとカメラを持って姉ちゃんの部屋に入る中村蒼くんでしたね(笑)

ということで、私はこの映画を怖がることができなかったのですが、目の前の席にいた女子中学生らしきグループは体を寄せ合って怖がってましたし、突然何かが起きて脊髄反射的に驚かされるシーンは楽しいっちゃ楽しいので、友達連れやカップルでイベント的に観に行くにはイイ映画だと思います。

「パラノーマル・アクティビティ 第2章/TOKYO NIGHT」
公開:2010年10月20日
配給:プレシディオ
監督:長江俊和
脚本:長江俊和
出演:中村蒼、青山倫子
上映時間:90分

雷桜 - 44点 △

ここが○○だったら、もっと感動できたのに!な点が多い

<あらすじ>宇江佐真理の原作を、時代劇初挑戦の岡田将生と蒼井優の主演で映画化。監督は「ヴァイブレータ」「やわらかい生活」の廣木隆一。母の愛を知らずに育ち、その情緒不安定な振る舞から老中や家来達に疎まている将軍家の十七男・清水斉道(しみずなりみち:岡田将生)。瀬田村の山で生まれ育ち、村人達から「天狗」と恐れられている娘・雷(らい:蒼井優)。そんな二人は、割れた銀杏の木から桜が芽吹いた奇妙な巨木・雷桜(らいおう)の下で出会い、運命の恋に堕ちるが、この身分違いの恋は悲劇の道を辿っていく・・・

身分違いの恋と山で暮らすヒロインの秘密という二本柱で劇を盛り上げる構造、主演二人の演技、美しいロケーション、ロマンチックで感動的な二人の交流シーンなど、良い面が沢山ある映画なのですが、映画的なつくり(カメラワークや編集など)があまり私好みではなかったのと、劇中の色々なところで「もっとこうした方が面白いのにー!」というアイデアが浮かんでしまって、素直に感動することができませんでした。

*以下、ネタバレ含む

まず、冒頭の斉道と雷の戦いですが、なぜいきなり二人を戦わせてしまったのでしょうかね。生死を賭けた戦いの中で二人の心が通じ合った!的な迫力があれば、また違った意味で納得できましたが、ここでこんな風に二人が戦ってしまうと、その後の「もののけ姫」的な介抱シーンが納得できないんですよね。

いくら一目惚れしたからといって、ついさっきまで真剣を振り回して自分を襲ってきてた相手に対してこの態度の豹変はいくらなんでもおかしいです。ここまでファンタジー色の強い展開は私には飲み込めない。というか、斉道が山賊に襲われてるとかでいいじゃないですか。それを雷が助太刀して、山賊を追っ払った後に斉道が気絶。で雷が優しく介抱してあげる、という流れだったらもっと素直に感動できたと思います。しかも、そうすることによって斉道が渇望していた”母性”の表現にもなるので、その後の展開に深みが増します。

あと、せっかく野生育ちの雷(本名:優)が産みの親の元(=都会)で暮らすという展開があるのだから、カルチャーギャップの違いで笑わせるコメディーリリーフを少しは入れても良かったんじゃないでしょうか。”都会では生活が上手くいかない”という描写があってこそ、そのあと優が「やっぱり山がいい」っていう心情に至るのに説得力が出るわけだし。そこに少しだけクスッとくる上品なコメディが入っていれば、一石二鳥で映画の魅力が増したと思います。

チャンバラシーンももっと気合い入れるべきでした。池畑慎之介(ピーター)さんが優の育ての親である時任三郎の胸に剣を突き立てて殺すシーンがあるのですが、抜いた剣がキレイなままなのは頂けません。あれだけピーターさんが気合いの入った演技をしてくれたのにこれでは台無しです。他のシーンでは血飛沫のCGをチョロッと入れたりしてるぶん中途半端でした。

さらに言うと、こういうアクションシーンにはもっと活劇的な魅力がほしいです。チャンチャンバラバラやってる風ではあるのですがどこか躍動感に欠ける印象で、今一つグッときませんでした。宮崎駿オマージュをやるならもっと活劇的な魅力を盛り込んでほしかったですね。(宮崎駿は活劇表現の天才なので)

最後にもう1つ。優に別れを言いに来た斉道が「やっぱ優と一緒にいたい!」とかなって駆け落ちをしようと決めた夜があるのですが、ここは180度変えてほしいですね。この夜に二人は愛を確かめ合うわけですが、このシーンのちょっと前に殺し合っている里の人間に対して優が叫ぶじゃないですか?「なんで里の人間は争い合うんだ!」って。だったらあの夜は「一緒に駆け落ちしよう」 じゃなくて、優が別れを受け入れた上で、「立派なお殿様になって平和な世の中にしてくれ」って言って、「でも・・・せめて今夜だけは一緒に・・・」っていう展開になっていたら俺は120%号泣してます。

しかも、そういう展開にした上で、ラストの18年後のアレを観たら「えっ!?マジか!?あの日のアレでそっかぁーホント良かったなぁーっ!!」とかいって超感動して劇場を後にできたと思います。もう監督のバカ!!

・・・っていうのは、あくまで僕の個人的な意見でして。後方にいた女性2人組みは鼻をグスングスンいわせて泣いていましたし、周りの女性はみんな一様に感動してる様子だったので、「雷桜」っていい映画なんだと思います。

「雷桜」
公開:2010年10月22日
配給:東宝
監督:廣木隆一
脚本:田中幸子、加藤正人
出演:岡田将生、蒼井 優、小出恵介、柄本明、時任三郎
上映時間:133分

エクリプス/トワイライト・サーガ - 38点 △

西洋ファンタジー風味で少女漫画的な三角関係を描いた珍作?

<作品紹介>ステファニー・メイヤー原作の世界的ベストセラーを基に、人間とバンパイアの禁断の恋を描きヒットした「トワイライト」シリーズの映画化第3弾。メインキャストは前作同様、クリステン・スチュワート、ロバート・パティンソン、テイラー・ロートナーらが務める。

<あらすじ>人間とヴァンパイアという禁断の壁を乗り越え、愛を誓い合ったベラとエドワードに新たな試練が訪れる。エドワードに恋人を殺された敵ヴァンパイアのヴィクトリアがベラの命を狙っていたのだ。ヴィクトリアが誕生させた凶暴なヴァンパイア軍団の危機が迫る中、このままではベラを守りきれないと悟るエドワードだったが、事情を知ったオオカミ族のジェイコブが味方に加わる。一族の掟を破り、ヴァンパイアと手を組んでまでもベラを守りたいと願うジェイコブの一途な愛・・・。ヴィクトリア軍団との全面戦争を前に、ベラの恋心は揺れ動き、究極の三角関係が激しく燃え上がる!ヴァンパイア族とオオカミ族を巻き込んだこのラブストーリーはどういう結末を迎えるのだろうか!?

「エクリプス/トワイライトサーガ」は、例えるならハリウッド版「花より団子」とでも言いましょうか。一途な愛を捧げる二人の男の間で少女の心が揺れ動くという、頭にお花畑が広がっているようなメルヘンチックなお話でした。今作が持つヴァンパイア一族vsオオカミ一族という西洋ファンタジー風味の世界観は、あくまでもこの三角関係を盛り上げるための舞台装置にしかすぎません。

そして驚くべきことに、この映画はホントにお花畑シーンに始まりお花畑シーンで終わります。花々に囲まれる中で、エドワードとベラが見つめ合いながら、「愛してるよ・・・」「私もよ・・・」「結婚しよう・・・」「ダメよ、だって・・・」といった甘い睦言を延々と繰り返す。つまりコレは大真面目に少女漫画をやろうとしてるんですよね。だからそのコト自体を「くだらない」とツッコむのは無粋。美しくありません。

この映画で展開される恋愛は、ヴァンパイアと人間という許されざる禁断の様式に、その愛の成就にはベラのヴァンパイア化が必要であるという代償を纏わせ、その苦悩を知るエドワードの葛藤をスパイスにしつつ、さらにそこへ恋敵を放り込むという、二重三重にわたる”ややこしさ”を孕ませた、「私のためにケンカはやめて」形式の三角構造を持っています。だから観客はいつでも萌えられるような心構えで「この三人、一体どうなっちゃうのかしらん?」とドキドキしながら行く末を見守るのが正しい鑑賞法なのだと思います。そこまではわかったのですが、もしそうなのだとしても文句があります。

*以下、ネタバレ含む

文句は明確で、ベラがエドワードとジェイコブの間で揺れ動いてるように全然見えないんですよね。前作までの流れがあるからベラがエドワードにゾッコンなのはイイとして、三角関係を盛り上げたいのならばまず早々に「ジェイコブ素敵!」と思わせるような見せ場を描いてベラの恋心の揺らめきを表現しなくちゃダメですよ。

そういう描写がないまま終始エドワードとのラブラブを見せつけられるので、ジェイコブがどんだけ頑張っても「勝ち目ねーじゃん!」という感じですし、言い寄られるベラの演技が下手なので、揺れ動いてるというより単に迷惑がっているような顔に見えてしまい、終始ジェイコブがただの痛いヤツに見えてしまっています。

挙句の果てには「俺と付き合った方がこんなにお得だ」みたいなことをジェイコブに言わせちゃうので。今作単体でみたまんま登場人物を解釈するなら、ジェイコブは痛いだけの非モテ野郎で、ベラはその恋心を弄んで利用するビッチですよ。三角関係萌えってのは”究極の選択”的な悩ましさがなくてはダメでしょう。私にはそれが全く感じられなかったため、全然萌えられませんでした。

そんな調子で、とにかくベラの心の揺れ動き表現が不完全なため、今作最大の見せ場である終盤、ついにベラがジェイコブへの想いを吐露するシーンが全然心に迫ってきませんでした。むしろ唐突すぎて「は?何それ?」という感じ。こういう文脈の積み上げ不足は物語をバカバカしいものに貶め、気分をシラケさせます。非常に残念でした。

では、それ以外の要素はどうだったかというと、他のパートにも特筆すべき褒めポイントは見当たりません。まずカメラワークが全然ダメです。全編通して被写体との距離の取り方がヘタで顔のアップばっかり。特に会話シーンが酷かったです。ほぼすべて喋ってる人物にピントを合わせた顔のどアップ&画面の端っこに聴き手をボカして入れるというベタな構図。会話シーンは本当にこのショット一辺倒で気が遠くなりそうでした。(*ファンは顔だけずーっと見ていたいのかもしれないのですが・・・)

あとアクションシーンがすごいカッコわるかったです。今作はアクションが少ないので、見せ場らしい見せ場といえば終盤の大合戦シーンですが、なんかやたらラリアートかますんですよね・・・。カメラをガチャガチャ動かしてわけがわからない混戦の中で、とにかくラリアートをかまして首をボキッと折る。こんなショボイ乱闘シーンは久々にみました。勘弁してください。

しかも、この大合戦を前にして味方ヴァンパイアの手練が後輩ヴァンパイアとオオカミ族に”特訓”と称して攻略法を伝授するのですが、そこで語られた内容が完全に無視されてて、「正面から向かっていくな」と言っいてた張本人が思いっきり正面からラリアートかますので「ちょwおまww話が違くね!?」って感じで笑っちゃっいました。ま、そういうのも楽しいからイイんですけどね。

とかなんとかで、さんざんぱら文句を言ってきましたが、こういう風にツッコミ入れるだけで結構楽しいし、お客さんはホントいっぱい入ってたので、いい映画なんだと思います。気になる方は是非ご観賞ください。

「エクリプス/トワイライト・サーガ」
公開:2010年11月6日(土)
配給:角川映画
監督:デヴィッド・スレイド
原作:ステファニー・メイヤー
脚本:メリッサ・ローゼンバーグ
出演:クリステン・スチュワート、ロバート・パティンソン、テイラー・ロートナー、ダコタ・ファニング、ブライス・ダラス・ハワード
上映時間:131分

裁判長!ここは懲役4年でどうすか - 42点 △

疑似体験、コメディ、社会派メッセージ、どれも弱い。

シリーズ累計60万部突破のベストセラー・エッセイの映画化。主演はお笑いコンビ「バナナマン」の設楽統や片瀬那奈ら。監督は「ソフトボーイ」の豊島圭介。三流ライター南波タモツの次なるお仕事は、美人映画プロデューサー須藤光子から依頼された“愛と感動の裁判映画”の脚本の執筆。しかし、取材先の法廷で目にしたのは“愛と感動”どころか下品なワイドショーネタばかり。次第に裁判所にも慣れてきたタモツは、知り合いになった傍聴マニアたちと行動を共にし、脚本そっちのけで傍聴を楽しむようになるが、ある時、法廷で出会った美人検事・マリリンこと長谷部真理検事に「楽しいでしょうね!他人の人生高見の見物して!」とキツイ言葉を浴びせらてしまう。そして、タモツはある決意をする―。

「裁判所」を舞台にした映画ということで、伊丹十三監督作品のような異世界覗き見感や、そこから出発する濃密な人間ドラマを期待して劇場に足を運んだのですが、今作はそういう映画じゃありませんでした。

裁判所のルールやトリビアを紹介する疑似体験映画として、または、そういう場所で起こってしまう笑いをネタにしたコメディ映画として、はたまた国民主権の根本原則を思い起こさせる社会派映画として、などなど、確かに今作はいろいろなアプローチをしてくれますが、その描き込みはどれも深く掘り下げられないので、最終的には毒にも薬にもならず、「ま、フツーに観れたなぁ」ぐらいの印象で、すぐに記憶から消えていく映画になってしまいました。

こういう小規模な作品にはつくり手の想いがビシビシ感じられるような熱さが欲しいところですが、今作からそういった熱はあまり感じられませんでした。設楽統や片瀬那奈の演技が良かっただけに少々もったいない気がします。これからいっぱい文句を言いますが、どうぞ最後までおつきあいください。

*以下、ネタバレ含む

まず、疑似体験やトリビアの側面ですが、ここには「これであなたも明日から傍聴の達人!」ぐらいの情報量が欲しかったです。傍聴初心者のタモツ目線で「服装自由」「立ち見禁止」「撮影・録音・私語厳禁」などの情報を出していくやり方はイイのですが、表面的な部分をちょっと触る程度で終わらせずに、裁判所が全国で何カ所あるのか?年間どのぐらの事件数が扱われているのか?裁判長、検事、弁護士、被告人、書記はどういう役割なのか?などなど、裁判にかかわる根本的なイロイロをもっと掘り下げて描いてほしかったです。 「日本国民必見!」と大仰に謳うのならなおさら。

これは「真面目にやれ」とかそういう意味ではなくて、むしろ冒頭のつかみとしてもっと派手に、もっと充実した内容で一発カマす必要あったのではないか?という意味です。楽しくワクワクさせながら「裁判所ってどういうトコなの?」っていうモヤモヤをブッ飛ばしてほしかったです(例えば、おもいっきり非現実的な演出にふっちゃって、派手なセクシー姉ちゃん化した片瀬那奈が説明してくれるとかw)。

コメディパートも今一つ揮いませんでした。大根狩り現場で起こった殺人事件や、被害者遺族に謝罪する被告人のフザけた服装、万引事件で検事がクソ真面目に読み上げるエロビデオの題名、女子高生がたくさん傍聴する痴漢裁判でハッスルする裁判長といった、”面白い”傍聴シーンを連発して、 そつなく仕上がってはいるような雰囲気はあるのですが、僕の笑いのツボにはハマりませんでした。

おそらく実際の傍聴席でその光景を見たら笑いをこらえるのが大変だと思うのですが、それは”笑っちゃいけない空間”だからこそ笑えるわけで、観客は映画館という笑って良い環境で、さらには面白いものを見るつもりでスクリーンを眺めてるわけですから、もう少しパンチのある笑いが必要だったと思います。

ちなみに片瀬那奈扮する鬼検事・マリリンが痴漢の被告人に「あなた自分が何をしたのかわかってるの!」と怒る姿を見ながら、タモツが自分が怒られている姿を妄想して「あ゙~ん」となるMっ気開花シーンは声を出して笑わせていただきました。というか、そのシーンは最高に面白かったので、いっそのことタモツが傍聴を楽しむスタイルを”妄想”という設定にして、それ関係のネタで笑わせて欲しかったですね。タモツが妄想の中で検事になったり、裁判長になったりしたら面白かったと思います。裁判所で知りあいになる傍聴マニア、”ウオッチメン”のメンバーにはそれぞれ特技があったわけですし、タモツにも何か得意技があった方が劇が盛り上がったはずです。

最後に社会派メッセージ部分ですが、劇中で傍聴マニアの西村さん(螢雪次朗)が語った「傍聴人はただ見てるだけの無意味な存在ではなくて、検事や裁判官を監視することでキチンとした裁判が行われるようにプレッシャーを与える役割を担っている」という話は非常に納得的でしたね。「裁判なんて俺には関係ねー」と思ってる僕のような人間に、国家権力の主権は国民にあるという原則を思い起こさせ、自覚させる効果として有効でした。

ここで「おおっ!そうくるか!いい展開じゃないですか!」と思ったのですが、その後この傍聴人の意義の件を飛躍させ、さも「傍聴人は裁判の行方を左右するような影響を持つ!」みたいな方向に進めてしまったのはちょっとやりすぎだし、あまつさえその一連はマリリンに叱責されたタモツを慰めるための詭弁だったというオチに逃げちゃう顛末にはガッカリしました。結局、国民主権のメッセージも本気じゃなかったんですね。

ということで、まぁ文句をいっぱい言いましたが、編集や音楽、役者の演技など、モロモロそつなく仕上がってはいますので、そこまで悪い映画じゃありません。笑いのツボさえ合えば面白い映画だと思います。

「裁判長!ここは懲役4年でどうすか」
公開:2010年11月6日(土)
監督:豊島圭介
脚本:アサダアツシ
原作:北尾トロ
出演:設楽統、片瀬那奈、螢雪次郎、村上航、尾上寛之、鈴木砂羽、木村了、堀部圭亮、斉藤工、徳永えり、大石吾朗、前田健
上映時間:95分

さらば愛しの大統領 - 28点 ✕

100%アホと言ってもTV的な自主規制の枠を一歩も出ない。

<あらすじ>独立国家宣言をした世界のナベアツが、 大阪合衆国初代大統領に就任!そんな時、謎の大統領暗殺予告が届く。大阪府警捜査一課随一のアホコンビ、早川刑事(宮川大輔)と番場刑事(ケンドーコバヤシ)が暗殺犯の捜査に乗り出すが。次々現れる暗殺犯!仕掛けられた爆弾!裏で操る謎の組織とは!?隠された陰謀とは何か!?すべては二人の刑事に託された!?二人は、大統領を守ることができるのか?合衆国に未来はあるのか?

「100%アホになってください」「インテリぶらないでください」。そんな観賞方法の説明テロップから始まる今作。これは「自分から能動的に楽しむ姿勢で、真正面から観てね」という監督からのメッセージなのだと思いますが、なぜこんな事をしょっぱなに言うのでしょうかね?

スクリーンの前に座ってる観客は、家でソファーに寝っ転がってチャンネルカチャカチャやってるTVの視聴者じゃありません。新しい何かを観るために、わざわざ映画館に足を運んで、1800円払って、狭い席に座って、携帯の電源OFFにして、周りに迷惑かけないようにじっとして、暗い空間の中で長時間耐えるつもりで、このアホなお笑い映画を選んで来ています。つまりは当然、超楽しむつもりで来てるんです。この映画に期待して、前のめりな姿勢で観てるんですよ。それをわざわざ「アホになれ」「インテリぶるな」とのたまうとは、何とまぁ余計なことか?

この余計な前フリに開幕以前から不愉快にさせられ、嫌な予感がしたのですが、残念ながらその予感は的中します。今作「さらば愛しの大統領」で展開される”笑い”は決して褒められた内容じゃありません。

前述の通り、観客はすべからく楽しむ姿勢で観ています。普段見れないものを観るためにわざわざ映画館に足を運んでいます。なのに何ですか!?このTV的な自主規制の枠から一歩も出ないヌルイ内容は!?

今作について「映画でやる意味あんの?」というレビューが散見されますが、その真意はきっと「映画だからこそやれる表現をなぜやらない!?」ってことですよ。TVだったら「公共の電波を使って何してる!」とクレームがくるような悪フザケも映画ならできる。もし怒る人がいたとしても、レビューサイトや個人ブログで「つまらなかった」と吐き捨てられる程度こと。何も恐れることはありません。それなのに、劇中で披露されるお笑いはTV的自主規制の枠内レベル(しかも中の下!)。ナベアツさんは、自分がどんなステージで勝負してるのか理解していないままこの映画を作ってしまったようです。

個人的な事を言えば、冒頭のでんぐり返しや、宮迫のミドリゴリラ、串かっちゃんのクイックな動きなど、いくつかの場面で笑わせてもらいました。でも、こういう桁(けた)の笑いはTVでいつもやってるじゃないですか?やっぱ映画である以上は「映画だからこそ出来る笑い」が欲しいです。

具体的に言えば、もっと下品な、もっと不謹慎な、もっと反倫理的な、毒っ気のある笑いが欲しい。例えばおもろーランド名物のタコ焼きの場面で、昔、ダウンタウンの松ちゃんやってたキャシー塚本的に食べ物を粗末にしたギャグをやるとか。宮川大輔がエキセントリックな刑事役ならマジで犯人撃っちゃうとか。せっかくケンドーコバヤシが出てるのなら、TVではいつも絶妙に節度あるレベルに抑えてるエロネタを全開でやるとか(志村けんは先日TV放送されたバカ殿でTバックを見せてくれたよ!)。いくらでも逸脱しようがあるはずです。なのにすべてがTV放映用に漂白された無難なレベル。これは本当に残念でした。映画という場を全然活かしてない!!

私はアホ100%どころかアホ300%ぐらいの心構えで観てたので、あまりの”優等生ぶり”に頭が下がりました(*これはもちろん皮肉です)。もしナベアツ監督が次作を撮るのなら、今いちど映画というステージでやることの意義を考えて頂きたいものです。

「さらば愛しの大統領」
公開:2010年11月6日
配給:アスミック・エース
監督:柴田大輔、世界のナベアツ
出演:宮川大輔、ケンドーコバヤシ、世界のナベアツ、吹石一恵、釈由美子

キス&キル - 64点 ◯

「ナイト&デイ」から面白さ30%OFF!でもフツーに楽しい

<作品紹介>フォロワー数500万人を超える“Twitter王子”ことアシュトン・カッチャーと、海外ドラマ「グレイズアナトミー」でブレイクしたキャサリン・ハイグルを主演に迎えたラブコメ・アクション!

<あらすじ>
彼氏にフラれ、傷心のまま家族との旅行に出かけたジェンは、旅先のニースで理想のイケメン・スペンサーと出会う。二人はたちまち恋に落ち、両親そっちのけでバラ色の日々を過ごしていたが、スペンサーにはジェンに言えない秘密があった・・・。なんと彼はCIAの凄腕スパイで、ターゲットを殺す為、このニースに来ていたのだ!かねてから“普通の生活”に憧れていたスペンサーはジェンとの出会いによってCIAを辞める決意をし、このミッションを最後に引退を宣言するが、組織はそれを許さなかった・・・。

凄腕のスパイだった男が元いた組織から命を狙われ、そのドタバタにヒロインが巻き込まれていくラブコメ・アクションといえば、つい先々月に公開されたトム・クルーズ×キャメロン・ディアスの映画「ナイト&デイ」と似てますが、世界中を股にかけ、ド派手なアクションが盛りだくさんの「ナイト&デイ」に比べて、「キス&キル」はフランスとアメリカの2カ国を股にかけ、ちょい派手めなアクションをするという内容で、そのスケール感は30%OFFといった感じでした。

そこで製作費を調べてみたところ、これがホントに「ナイト&デイ」の30%OFFで、ナイト&デイが約97億円かけたのに対してキス&キルは約62億円と、スケール感30%OFFも納得のいく金額差がありました。

じゃあ、「キス&キル」はつまらなかったのかと言えばそんなことは全然なくて、ラブコメ映画としての魅力は決して引けを取りません。美しいニースで出会い、恋に落ちる二人の初々しい恋愛描写はロマンチックで素敵だったし、彼に気に入られようと頑張って空回りするジェンの姿(フランス語を知ってるフリしたり、呼吸困難になるほどきついドレスを着たり)は笑っちゃうんだけど愛嬌があって可愛らしかったです。(*特にジェンが「あーもうムリ!」みたいになって、ぶっちゃげ始めるシーンは最高!)

しかも、このジェンの描写がラブコメを楽しませるための賑やかしなだけではなく、殺伐とした仕事で心が乾き切っていたスペンサーがジェンに惚れる展開(=彼はジェンみたいな素直で安らかな女性を求めていた)に説得力を持たせる機能も果たしており、なかなか良くできていると感心させられました。

失礼ながら最初はヒロインを務めるキャサリン・ハイグルさんはちょっと華に欠けるなと思っていましたが、このジェン役がジェシカ・アルバとか、スカーレット・ヨハンソンとか、ジェシカ・ビールとかだと、肉体的魅力が前に出過ぎちゃってジェンのあの雰囲気は出ないと思うので、キャサリン・ハイグルさんで正解でしたね。

一方のTwitter王子、アシュトン・カッチャーも魅力十分。逞しい肉体は過酷なミッションを成し遂げるスパイとしての説得力があるし、切なくも優しい眼差しは、国家を守るためとはいえ殺人に手を染めていることへの葛藤を上手に表現していました。もちろん単にイイ男として眺めるだけでも絶品で、顔はイケメンだし、カラダは細マッチョとゴリマッチョの中間の”ちょうど良いマッチョ”な感じで、スゲェカッコイイ。こりゃジェンも惚れますわ、という感じで、アシュトン・カッチャーもバッチリだと思いました。

という具合に、前半のラブコメパートはホント楽しかったので、このままいってくれれば超オッケイ!という感じだったのですが、そこから先のスパイであることがジェンにバレて本格的なドタバタが始まる辺りから、それまであったダイナミズムがスローダウンしちゃうのが「キス&キル」の惜しいところ。

*以下、ちょっとだけネタバレ

後半の攻防戦では、2000万ドル(=16億円)の賞金が懸かったスペンサーの首を狙った刺客がたくさん襲ってくるんですが、観客の興味を持続させる上で重要な”組織側の動機(=大金をかけてまで彼を殺したい理由)”が示されないので、どうにもお話に乗りきれず、物語の推進力が落ちていってしまう印象を受けました。

刺客の一人が「この男は組織を裏切った・・・」とか言うんだけど、それだけじゃ16億円かける説得力としては弱いですよね。まぁ、それなりにドンパチやってくれますし、コメディーリリーフも面白いし、最後には「あ、そういうことかー」みたいなオチもつけてくれるのですが、やっぱり「楽しいなぁーー!!」と素直に感じられた前半と比べてパワーダウンした感が否めません。

冒頭で今作のスケール感は「ナイト&デイ」の30%OFF言いましたけど、こと脚本の練り込み不足ついては50%OFFまで下がっちゃうデキだと思いました。前半が良かっただけにちょっと悔しいですね。しかしまぁ、デートでサクッと観るにはちょうどイイ上映時間(101分)ですし、前半のラブコメ部分はとっても楽しいので、映画「キス&キル」は全然オススメですヨ!!

「キス&キル」
公開:2010年12月3日(金)
配給:ギャガ
監督:ロバート・ルケティック
脚本:T・M・グリフィン
出演:アシュトン・カッチャー、キャサリン・ハイグル、トム・セレック、キャサリン・オハラ
上映時間:101分

ノルウェイの森 - 79点 ◯

愛の帰結はSEXである。そこを誤魔化すとヤバイことになる

<作品紹介>国内小説発行部数歴代No.1。世界中で読み継がれる現代文学の最高峰と謳われる、村上春樹の小説「ノルウェイの森」の実写映画化。監督は「シクロ(1995)」でヴェネツィア国際映画祭のグランプリを受賞したトラン・アン・ユン。主演は実力派俳優の松山ケンイチ、菊地凛子、モデルで演技初挑戦となる水原希子。共演には高良健吾、玉山鉄二、霧島れいか、初音映莉子など。

<あらすじ>
ワタナベ(松山ケンイチ)は親友であるキズキ(高良健吾)を自殺で喪(うしな)い、心の空白を埋められないまま東京での大学生活を始めた。時が止まったかのように虚しい日々を過ごすワタナベは、偶然にもキズキの恋人だった直子(菊地凛子)との再会を果たす。心に同じキズを持つ二人は頻繁に会うようになり、いつしか想いを寄せ合うようになるが、心の病が悪化した直子は、京都の療養所に入院してしまう。直子と会えなくなり、またしても虚無に苛まれるワタナベだったが、そんな彼の前に、直子とは対照的な、瑞々しい生命力に溢れる女の子・緑(水原希子)が現れた・・・。

子供の頃から小説が苦手で、近年話題になった「1Q84」はもちろん、国内小説発行部数No.1という「ノルウェイの森」すら未読。というか村上春樹作品自体、1冊たりとも読んだことがない、村上春樹体験の童貞である私が映画「ノルウェイの森」を観てきました。

いかんせん童貞な私ですから、原作との比較や文学的な何がしを語れるわけもないのですが、いやはや、とても不思議な感覚を味あわせてくれる映画でした。現実的なお話を描いているはずなのに、日常から少しだけズレた、でも何かが決定的に違う異界に迷い込んだような気分になりました。

序盤は、「コレって小説の台詞そのまま言ってるの?」と思われるような、日常会話に似つかわしくない文学的(っていうんですかね?)で異様な台詞まわしが気持ち悪くて「キーッ!!」ってなったのですが。よく観察すると、台詞だけではなくカメラワークや人の動きなんかもすべて異様で気持ち悪く、逆にそれが奇跡的な調和を生んでいるように感じられ、いつの間にかこの異界に馴染んでいきました。

で、その気持ち悪さに馴染んだ(=突き抜けた?)先に見えてくるのは、おそらく誰しもにとって重要な問題である「性」と「生」と「死」。そして「愛」なわけです。

死に向かう直子、生を体現する緑、その間で揺れ動くワタナベ。男女を結ぶ性の営みが炙りだす愛についてのヤバイ何か―。私にはハッキリとわかりましたが、「ノルウェイの森」という映画が描き上げるテーマは「愛の帰結はSEXである」、これですね。(*男女の営みに限定されない広義の意味でのSEX)

”愛”を精神のみに依拠した存在と定義するのではなく、精神と肉体、両方のバランスが整って初めて正常に存在し得るエネルギーのようなモノと捉える。その究極の発露がSEXであり、SEXという捌け口の無い愛はカラダの中で自家中毒を起こす。そこを誤魔化し続けるとヤバイことが起きるんだということ事を説く映画。それが「ノルウェイの森」です(ホントか?w)

*以下、ネタバレ含む

「愛=SEX」、これを絶対の基準と定義して物語を追うと、アソコが濡れない(=男性器を受け入れられない≒相手を愛してあげられない)直子を死に追い詰めたのは紛れもないワタナベですよね。

直子が激しく心象吐露(アタシ濡れないの!)する草原シーンから推察するに、おそらくキズキを自殺に追い込んだのは直子の性不能が原因。「アナタが私を苦しめるのよーーー!!」と発狂する直子を目の当たりにしてもワタナベは、問題の本質を”ややこしい”として突き詰めないまま、無鉄砲に「そんなお前(=SEXできない)を受け入れるから、一緒に生きよう。アパート借りるから」とか言っちゃう。

これが直子を「生か死か?」という二択の岸壁に追い詰める最後通告になってしまった。直子とSEXせずとも、正常に性が働き、東京でその代理満足(永沢との女遊びや緑との関係)を得ていたワタナベに、直子の苦しみは本質的に理解できなかったのでしょう。それがこんな悲劇を生むとは・・・悲しいですね。

この映画は、その静かな作風にもかかわらず、映画「愛のむきだし」で園子温監督がブチカマした「愛=勃起」にも似たインパクトがあります。村上春樹”童貞”たる私の膜を見事にブチ破ってくれました。彼の原作小説を読んでみたくなりました。

私は人が愛の究極系として呼ぶ「無償の愛(=見返りを求めない愛)」の正体は、「それと意識せずとも、物理的、肉体的、精神的にギブ・アンド・テイクが成立している愛の関係」だと思っているので、そのギブ・アンド・テイクのバランスを精神と肉体でとるしかない”持たざるモノ”である若者が、肉体に欠落を抱えたまま愛を追求してしまったが故に起きた悲劇であるこの物語に、非常に納得するものを感じました。

ということで映画「ノルウェイの森」。私的にはとても面白かったわけですが、冒頭にお伝えした通りの気持ち悪さや、扱うテーマに生臭いエグ味があるため、83点という高得点のわりには「この映画は絶対みた方がイイ!」と胸を張って言えない感じではあります。しかし、それらの違和に耐えられる方にとっては興味深い”愛”の示唆を与えてくれる映画になると思いますので、自分が”どういう系”の人間かを確かめる意味でも是非一度ご覧になってはいかがでしょうか。

P.S.
永沢(玉山鉄二)とハツミ(初音映莉子)のサブ・ストーリーも良かったですね。「この世界には俺しかいねぇ!」ぐらいの”俺イズム”を持つ、高尚で下種な生き方をする玉鉄の目の座りっぷりが最高でした(シンバルをジャーン!ってやるトコとかシビれます)。

ノルウェイの森
<キャストティング>
ワタナベ:松山ケンイチ
直子:菊地凛子
小林緑:水原希子
キズキ:高良健吾
永沢:玉山鉄二
レイコ:霧島れいか
突撃隊:柄本時生
ハツミ:初音映莉子

「ノルウェイの森」
公開:2010年12月11日(土)
配給:東宝
監督:トラン・アン・ユン
脚本:トラン・アン・ユン
原作:村上春樹
出演:松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、高良健吾、玉山鉄二、霧島れいか
音楽:ジョニー・グリーンウッド
上映時間:133分

インシテミル 7日間のデス・ゲーム - 30点 ✕

作品世界の設定に、やっちゃいけないルール違反あり!

<作品紹介&あらすじ>「リング」シリーズを手がけた中田秀夫監督が、米澤穂信のベストセラー小説を映画化した心理サスペンス。時給11万2千円という求人広告に釣られた10人の男女が「暗鬼館」に集められ、24時間監視されながら7日間の共同生活をすることになった。タイムアップまで何も起きなければ全員が大金を手にできる簡単な仕事だったはずだが、二日目に死者が出たことにより事態は急転してしまう・・・。

映画「インシテミル~7日間のデス・ゲーム~」を簡単に説明すると、疑心暗鬼や騙し合いのゲームを通じて人間の本性を炙り出し、究極的には性善説や性悪説(またはそのあやふやな中間地点)に着地させるという「カイジ」や「ライアー・ゲーム」的な系統のお話ですが、序盤の展開にどうしても納得できないポイントがありまして、それがずっと心に引っかかってしまい映画を素直に楽しむことができませんでした。

*以下、ネタバレあり

ゲーム開始の夜、参加メンバーは自分の個室に凶器が置いてあるのに気付き、二日目に起きた殺人が銃殺だったことから「一体誰が殺したのか?銃を持っているのは誰なのか?」という疑心暗鬼ゲームを始めてしまうわけですが、この展開には短絡的な印象を受けました。暗鬼館にやってきた最初の段階で運営側からこの怪しい実験について”夜10時以降は自分の個室から外に出たら監視ロボットに排除される”というルールを説明されているわけですから、朝起きて通路で死んでる人間がいたら真っ先にそのロボットを疑うのが普通ではないでしょうか?しかしこの登場人物達は誰一人そこを指摘せず、運営側に都合の良いようにバトルロワイヤルを始めてしまう。この展開に初っ端からズッコけてしまいまいた。

一応、一人目の犠牲者である石井正則が実は運営体側の人間で、「○○は××の殺人犯に似てる」とか、「○○は××の通り魔に似てる」という噂を吹聴し、参加者間の疑心暗鬼を煽り、しかも自分の死をもって生き残りゲームの引金を弾くという筋書きなので、ある程度の説得力はあるわけですが、それでもロボットが犯人である可能性を誰一人として疑わないないのはありえません。しかも驚くべきことに、最終的には本当にそれがこのロボットの仕業で、終盤に”仰天の事実”として明されるものだから、「えっ!やっぱそうなの?」と再びズッコけてしまいまいた。

さらに、劇中で起きるサスペンス状況(特にクライマックス)にもズッコ要素があります。参加者がどんどん死んで、誰が殺人犯だかわからない極度の緊張状態の中、メンバーの誰が入れたかもわからないお茶を飲むヤツなんていますかね?しかも案の定お茶には薬が入ってて大ピンチに陥っちゃうって、この人たちはどれだけウカツなのでしょうか?

もっと言ってしまうと、そもそもこの怪し過ぎるバイトの参加者はもっと金に困窮して切羽詰まった人間にしないとヘンですよね。急落した株を抱えて切羽詰まった青年がちょろっと描かれていますが、それ以外のメンバーは全然普通のパンピーです。ちょっと貧乏なぐらいの普通の人間がこんな怪しすぎるバイトに参加するのはおかしいので、人物設定をもっと煮詰めて参加する動機に説得力を備えてほしかったです。

あと映画的なつくりの面ももういっちょ質を上げてほしいところですね。感情を煽る音楽をかぶせたり、藤原竜也くんを泣きわめかせたりして劇を盛り上げようと頑張ってはいるのですが、編集がいまいちだからか全体のテンポ感がわるく、時間経過の長さを感じてしまいました。

とどめは最後のオチ(このゲームの正体)で、これが本当に酷かった。

命を賭けたゲームを世界中に生中継で有料配信して、徴収されたそのお金を参加者への賞金と運営費に当てるなんて商売は、法治国家で成立するはずがありません。いくらフィクションとはいえこの設定は非現実的すぎて飲み込めませんでした。

「カイジ」や「ライアー・ゲーム」も十分非現実的ですが、彼らが賭けているのはあくまでもお金であり、「借金地獄≒身の破滅」に陥ったとしても命までは奪われません。故にどんだけ非現実的であっても作品内のリアリティは担保され、話に乗ることができます。でもこの映画の制作者達は、自分達の都合の良いように世界を捻じ曲げ「だってそういうのが成立してる世界の話だから!」と開き直って衆人環視の中で血みどろの殺し合いのゲームをしてしまう。こんな設定は反則です。あんなビジネスがまかり通る世界なら、いわゆる普通の(=我々観客が現実として生きている)一般生活を送れる社会なんか構成されませんよ。こういう適当な環境設定をされると世界の成り立ちに根本的な矛盾が生まれてしまうので一気に白けます。残念ですね。

あと最後の藤原竜也の行動もなんか中途半端でしたね。世界のエグさと人間の希望みたいなものを同時に表現したかったのでしょうが・・・前述の通り足元がグラグラなので、たんに寒い印象になってしまいました。

ということで映画「インシテミル~7日間のデス・ゲーム~」。さんざん文句を言いましたが、藤原竜也とか綾瀬はるかとか石原さとみとか俺の好きな役者さんが出てるし、彼らの演技を眺めてるだけでも楽しかったっちゃ楽しかった映画なので、一度観賞なさってみてはいかがでしょうか。

P.S.
武田真治の”ジョーカー的”な演技は惜しかったですね。”高笑い”がちょっとやり過ぎで、非常にもったいない気がしました(これは演出家の責任です)。彼はスゴイ好きな俳優なのでもっと沢山の作品で観たいです。

「インシテミル 7日間のデス・ゲーム」
公開:2010年10月16日
配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:中田秀夫
脚本:鈴木智
出演:藤原竜也、綾瀬はるか、石原さとみ、阿部力、平山あや、石井正則、大野拓朗、武田真治、片平なぎさ、北大路欣也、チョー

チェイサー - 62点 ◯

サスペンスに陥れる巧妙な手口。でも犯人像に致命的蛇足が

<あらすじ>韓国で実際に起きた二件の連続殺人事件と、イラクでの韓国人殺害事件から着想を得たナ・ホンジン監督が、事件に共通する”拉致・監禁”の心理的恐怖と、警察の捜査現場の実状、そして犯人を追う男の執念を、鮮烈な暴力描写と共に描き上げた衝撃の長編デビュー作。失踪者が続出するデリヘル経営者のジュンホは、失踪したヘルス嬢の最後の客の携帯番号が共通であることから、正体不明の犯人の手がかりを掴み、その真相を追い始める―。

*以下、ネタバレ含む

今作は、観客をサスペンス状態に惹き込む手口が実に巧妙です。開幕早々から連続殺人犯が誰であるかをわからせ、すぐさま逮捕し、でも証拠不十分で釈放するというこのやり口には一本とられました。

ふてぶてしく釈放される犯人の姿を見せることによって、観客をストレス状態に陥れ、事件を追う主人公に否応なく感情移入させる。そして時折挿入する”まだ生きている被害者の姿”によって「今ならまだ助かるっ!」という期待感と焦燥感を増幅させながら、衝撃的な結末に向かっていく。悔しいかな、私はホントにイライラしながらこの映画を観てしまいまして、監禁された被害者の映像が写る度に「はやく助けに来てくれーっ!」と心の中で叫んでいました。この求心力のあるストーリー展開、本当に素晴らしいですね。

もちろん、韓国映画の十八番(おはこ)であるバイオレンス描写も強烈で、杭と金槌を使った頭カチ割りや、ゴルフクラブでの殴打といった鈍器による陰惨な暴力描写が本当に恐ろしかったです。観賞中久々に「うおぉ…もうやめてくれ…」と目を覆いたくなる気分になりました。そういうのが好きな人は、それだけでも十分必見かと思います。

あと、主人公のキャラクターの起て方と、その改心描写も素晴らしかったです。元警官のデリヘル経営者というプロフィール以外は一切説明せず、他の登場人物の彼への対応によって”女を道具としか見ていないクソ野郎”というキャラクターを浮かび上がらせる手法は効果的でしたし、そんなクソ野郎が被害者の娘と行動を共にすることによって次第に奮起し、いつしか真剣に被害者の生存を願い、犯人を追い駆ける。その姿はとても感動的でした。主役を演じたキム・ユンソクさんの演技は初めてみましたが、素晴らしい役者さんですね。他の出演作も観てみたいです。

という具合に、今作は褒めるポイントがいくつもある素晴らしい映画なわけですが、一方でダメなポイントもありまして、それが映画の完成度を著しく下げるという非常に口惜しい結果を招いてしまいました。

まず、犯人の身体的な特徴として”インポである”という設定を加えたこと。これは蛇足だと思いました。なんでこんな設定を入れちゃったんでしょうか?監督はインタビューで「実際の社会は善悪で割り切れないし、事件が起きた因果関係などは不鮮明なことが多い」という理由で主人公や犯人についての説明は避けたと語っていますが、実際のところ思いっきり説明しちゃってますよね。犯人はインポで女が抱けずに鬱屈して猟奇殺人に走った変態野郎で、コイツが被害女性の頭に杭を打ち込むのはSEXの代償行為。誰がどう見てもそう受け取りますよ。こういう描き方をしてしまうと、単に「インポ野郎って怖いねー」みたいな浅い話になっちゃう可能性があります。ここは”人間の闇”みたいな曖昧で不気味な着地で全然良かったと思います。

それに、終盤の主人公と犯人の直接対決でカマした「セブン」のパクリ。これはちょっと白けましたね。「セブン」がやったあのサブリミナルは、犯行の締め括りとして自分を撃たせようとするジョン・ドゥの揺さぶりにミルズがついに屈するシーンで、「殺したら俺の負けだ・・・しかし、コイツを許すわけにはいかねぇ!!」とミルズの感情が爆発するキッカケとして必要不可欠な演出だったわけで、そういう積み重ねの無いところでいきなりやられても、ただカッコイイから入れただけに見えてしまい、ダサイ印象を受けてしまいました。

ということで、上記2つのダメポイントのせいで大幅減点せざるをえない今作なわけですが、サスペンス映画として一流の作品であることに間違いはありません。というか長編映画初デビューでこのクオリティの作品を撮ったナ・ホンジン監督は今後とも大注目です。

「チェイサー」
公開:2009年5月1日
配給:クロック・ワークス
監督:ナ・ホンジン
脚本:ナ・ホンジン
出演:キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、ソ・ヨンヒ
上映時間:125分

南極料理人 - 45点 △

起承転結の”起”すら起きないけど、なんかオッケイな映画

<作品紹介>南極観測隊に料理人として参加した西村淳のエッセー「面白南極料理人」の映画化。主演は「ゴールデンスランバー」の堺雅人。共演には生瀬勝久、高良健吾ら新旧実力派俳優たち。妻(西田尚美)と娘を置いての単身赴任。行き先は陸の孤島、南極ドームふじ基地。食材管理および料理人として派遣された男・西村(堺雅人)は、調査とは関係のない任務を淡々とこなす日々を送っていたが・・・。

ということで「南極料理人」を観たわけですが、この料理映画は、料理の扱い方が非常に特徴的ですね。なんというか、料理に負わせる役割がめちゃくちゃユルい(軽い?)です。

映画に限らず料理を題材にした作品というものは、料理が人を感動させたり、その人生をも救ったりする内容が多いわけですが、この「南極料理人」にそういう展開はありません。普段私たちが何気なく行っている日常生活と同じレベルで、南極に単身赴任した野暮ったい男たちがクチャクチャと飯を食ってクソして寝る。そんな有様が延々と描写されてゆきます。

起承転結でいう”起”すら起きず、極限状況下の生活描写(=一番面白くなりそうな部分)もディテールに踏み込まず、ささいな波乱や事件が起きては収束し、腹が減ったら飯を食う。このマッタリループを何周かしたのち、序盤の贅沢料理が徐々に家庭料理に変化するのを象徴にして、男たちの共同生活が疑似家族的なナニと昇華する様子が描かれるわけですが、特にそれが何らかの示唆や深い感慨を揺り起すでもなくシュワワワヮ~ン・・・っと飛散していきます。

なんとなくの先入観でホッコリとした感動を呼ぶドラマを期待しながら鑑賞していた私からすると、その変哲のなさに「んんん?なにこれ?」と肩透かしを食ったような観賞後感に陥ったのですが、それはそれでわるくない印象を抱きました。

個人的には「美味しんぼ」的な食材・調理方法のウンチク・トリビア合戦や、「ミスター味っ子」的なエンタテインメント演出(味王の美味いぞーーーっ!とかw)、はたまた「タンポポ」的なエロス(口移しで生卵レロレロ、血の入ったカキ貝ジュルジュル)表現など、なにかしらの感情を揺さぶるポイントがほしかったわけですが、生きていく上で必ず必要な食事という行為のリアリティを、フレームアップせず過不足ない位置づけで描いた勇気ある怪作であると評価させて頂きたいです。

「南極料理人」
公開:2009年8月8日
配給:東京テアトル
監督:沖田修一
脚本:沖田修一
出演:堺雅人、生瀬勝久、きたろう、高良健吾、豊原功補、
上映時間:125分
主題歌:ユニコーン「サラウンド」

しんぼる - 22点 ✕

後藤、小杉、千原Jr、浜田(敬称略)らの突っ込みがあれば・・・

<作品紹介>ダウンタウン・松本人志の映画監督作品第二弾。企画・監督・出演は松本人志。脚本は高須光聖との共同執筆。メキシコのとある町に住むプロレスラー・エスカルゴマン。今日は自分より若くて強いテキーラ・ジョーとの対戦日。彼の身を案じる妻と、活躍を期待する息子、いつも優しい眼差しを向ける父の前で奇跡が起きようとしていた。一方、水玉模様のパジャマを着た謎の男(松本)が白い壁に囲まれた部屋で目を覚ます。状況を飲み込めず困惑するパジャマ男。部屋に仕掛けられた数々のトラップ。男はそこからの脱出を試みるのだが・・・。

ということで、松本人志監督作品の「しんぼる」を観たわけですが、この奇想天外な作品のテーマは一体何でしょうかね?監督は作品について「テーマは決めてない」、「深く考えてない」、「しいて言えば”なるようになる”」と語っていますが、明らかに神の存在や、人類の進化、生殖と受精、世界全体と一個人の関係、解脱・悟り・涅槃(ねはん)といった、宗教的で哲学的な、深遠っぽい形而上的テーマを内包しています。これは松っちゃんにそういった事柄への興味があるということなのか?私が勝手にそういうテーマを投射してしまっているのか定かではありませんが、いづれにせよ今作は単なるコメディ映画ではないようです。

男が白い部屋で起こすアクションが世界に影響を与えていく。その様子は「世界(≒人生)は君次第でどうにでもなる」というポジティブなメッセージにも受け取れるし、「俺は全てを悟り、神の領域に達した!」という自己陶酔にも受け取れる。その他にも様々な解釈が(混乱を誘う程に)可能なつくりにはなっていますが、いかんせん”なるようになる”という場当たり的なスタンスで作られているため、それらについての咀嚼は甘く、血肉となっていないまま画面に放り出されたような印象で、説得力がありません。

とはいえ、それでも松ちゃんの本懐であるコメディパートが笑えればある意味問題無いわけですが、残念ながら私の感性とは相性がわるかったようです。今作は海外ウケを意識しているとのことで、誤訳の危険性を回避するため、無声映画的なアプローチでわかりやすいお笑を目指したそうなのですが、なんというか、そういう小手先の対応が逆に笑撃力の低下を招いたような印象を受けてしまいました。

まず、その内容が俺の知っている松っちゃんクオリティーからは程遠いです。わかり易いのは結構ですが、繰り出されるギャグが、おならプーを顔に喰らって「クサぁーーいっ!!」とか、醤油なしでお寿司を全部平らげた直後に醤油が出てきて「遅いわっ!!」ってどうなんでしょうか?あまりにもベタすぎてまったく笑えません。しかもフリが妙~に長い。劇中何度も「もうわかったから早く次行って・・・」と心の中で懇願していましたよ。前半のコメディパートはそんな時間が延々と続くため終始スベり倒していました。おそらく松本人志という威光がなければ正気を保てなかったと思います。

百歩譲ってボケはこれでイイとしても、ツッコミの雑さが致命的なのだと思います。これも海外受けを狙って排除したっぽいのですが、ようは”複雑に進化した現代日本水準のツッコミ”が決定的に足りない。もしかすると観客自らがその感性に応じて突っ込みながら楽しむという類の作品なのかもしれませんが、そういう様式は見ず知らずの他人が大勢が集まる映画館での観賞には適さないし、そもそも怠惰な観賞者でいたい身としてそういう趣向は荷が重い。だからやっぱし、フットボールアワー後藤、ブラマヨ小杉、千原ジュニア、もっと言えば浜ちゃん的なキレのある突っ込みでボケを昇華してほしいと思ってしまう。こう言うと「そんなのはTVで見ればよくねーか?」と突っ込まれそうですが、TVバラエティで享受できる程度の面白さにも達していない今作であるからして、こういう不満が出るのはご容赦願いたいところ。

というか、松本監督は今作についてのあるインタビューでTVバラエティの自主規制について言及していましたが、「しんぼる」のお笑い要素ってTV的な自主規制の枠を全然逸脱してないですよね。あえて言うなればちょっとお寿司を粗末にしてるぐらい。せっかく映画というフィールドで勝負するんだから、もっとブッ飛んだ笑いをカマしてほしかった。そういう部分で賛否両論を巻き起こして欲しかったですね。

ということで、たくさんの不満を感じる映画だったわけですが、唯一無二とは言わないまでも珍しい映画であることに間違いありませんので、一度観賞してみてはいかがでしょうか。

P.S.
今作の観賞中「表現」と「表出」の違いについて考えていました。表現とは言動により相手に自分の期待する言動を起こさせる事(=例えば「こうすれば感動するだろう」と計算している状態)であり、表出とはただ単に言動によって感情的カタルシスを得る事(=俺が気持ちよけりゃイイ!という状態)だそうですが、今作の松本人志はどっちつかずの浮ついた演技をしているように見受けられました。その辺もスベった一因だと思います。

「しんぼる」
公開:2009年9月12日
配給:松竹
監督:松本人志
脚本:松本人志、高須光聖
出演:松本人志
上映時間 93分

大洗にも星はふるなり - 48点 △

このオチなら、途中経過の笑いで満腹にしといてほしい。

<映画の紹介>劇団ブラボーカンパニーの戯曲「大洗にも星はふるなり」の映画化。監督・脚本は同劇団の座長でありTVドラマ「33分間探偵」の福田雄一。出演は山田孝之、佐藤二朗、山本裕典、戸田恵梨香など。ある日、自信過剰の勘違い男・杉本(山田孝之)のもとに憧れのマドンナ・江里子(戸田恵梨香)から「イヴの夜にあの海の家で会いたい」という手紙が届いた。誘いに乗って海の家に行ってみると、そこには同じ手紙を受け取った男達が待ちかまえていた・・・。

ということで「大洗にも星はふるなり」を観賞いたしました。山田孝之や佐藤二朗らの芸達者たちの演技が楽しみな今作、早速評していこうと思うのですが、いきなり結論からいくと、かなりの肩透かしな印象の作品でした。原因は簡単で、オチの”やっつけ仕事ぶり”のせいです。

この映画は舞台劇が基ということで、そのスタイルは「12人の優しい日本人」よろしくの密室会話劇。場面は基本的に(回想シーン以外)一カ所固定で、後はひたすら舌戦を繰り広げるという形式になります。バイト先のマドンナ(戸田恵梨香)から同じ内容の手紙をもらってムラムラした男達が「これは彼氏決定の最終審査だ!」と息巻き、「俺こそが彼女にふさわしい!」と、各々の勘違いっぷりを披露しあう痛々しい姿が最大の見どころで、ただひたすらに観客を笑わせることを目指した役者達の狂騒がエンタテインメントを醸し出すという仕立て。

で、実際のところそのやりとりは結構面白かったです。勘違いナルシスト役の山田孝之の動き、喋り、繋がった眉毛、ランニングからはみ出した胸毛などのモロモロには彼のアビリティーがちゃんと発揮されていたし、佐藤二朗もホント達者で、声のトーンや強弱、間合いの取り方などの妙味がブレンドされた話芸をキッチリ楽しませてくれました。その他メンバーも軒並みOKラインで、観賞中なかなか楽しい気分にさせてもらったのですが、そもそもの発端であり、観客のモチベーションを引っ張り続ける「彼女は何でこんな手紙を出したのか?彼女は誰のことが好きなのか?」という重要な問題の決着が、まるで夢オチレベルのしょーもないモノなので、それまでの時間が一体なんだったのか?という気分にさせらてしまいます。

これで途中経過に「こんだけ楽しませてくれたんならオチとかどーでもいーや!!」と言える程の満腹感があれば文句は無いわけですが、この作品はそこまでの突き抜け感はありません。さらに、その真相にガッカリした挙句に用意されているしんみり展開(Stay GoldというかLife goes onというか?)もとってつけたような感じなため、これで「大洗にも星はふるなり」とかオシャレ風味な台詞を言われても釈然としません。

ということで私にとっては不満感の残る映画だったのですが、途中のやりとりの笑いがハマる(=そこでお腹一杯になれる)人にとっては爽快な気分で笑い飛ばせる作品だと思いますので、自分の感性を試す意味でも「大洗にも星はふるなり」、一度観賞してみてはいいかがでしょうか。

「大洗にも星はふるなり」
公開:2009年11月7日
配給:日活
監督:福田雄一
脚本:福田雄一
出演:山田孝之、佐藤二朗、山本裕典、ムロツヨシ、戸田恵梨香、安田顕、小柳友
上映時間:103分

ザ・ウォーカー - 90点 ◎

この映画が描くのは、信念と忍耐を貫いた一人の男の生き様。

<作品紹介>荒廃した近未来を舞台に、この世に一冊だけ残った本を手に、ひたすら西へと旅する男を描くサスペンス・アクション。監督は「フロム・ヘル」のヒューズ兄弟。出演は「クリムゾン・タイド」のデンゼル・ワシントンや、「ダークナイト」のゲイリー・オールドマン。制作には「マトリックス」で知られるジョエル・シルバーが参加。ハルマゲドン後の荒廃した世界を西へと歩き続ける男、”ザ・ウォーカー”。彼の持つ一冊の本を狙う独裁者カーネギー。彼はなぜ西を目指すのか!?目的地は何処なのか?その本には何が書かれているのか!?

いきなりですが、今作でデンゼル・ワシントンが見せてくれるマチェットナイフを使ったバイオレンス・アクションシーンは、2010年公開作品の中でもBEST5に入るデキです。特に近接戦闘に限定すればBEST1に挙げる人がいてもおかしくないほど。それくらい彼の身のこなしは力強く、一切の無駄がなくて美しかった。個人的にはこのアクションシーンだけで入場料金分の元がとれちゃったのですが、今作のキモである”本”の謎を推進力にした脚本はひとクセありますね。そのせいで観る人を選ぶ映画になってしまったと思います。

劇中におけるこの”本”は、物語に推進力を持たせるための典型的なマクガフィンなわけですが、その正体が多くの日本人には馴染みの薄い”アレ”なため、プロパガンダ映画として短絡的に受け取られる可能性をはらむ内容になってしまいました。しかしながらそう受け取るのは拙速です。一体、私は何を言っているのでしょうか?

*以下、ネタバレ含む

感の鋭い方なら、そもそもで一本の映画として物語を駆動するに足る”本”の正体なんてアレしかないじゃん?と思うわけですが、皆さんのご想像通り、主人公が持ってる本の正体は”聖書”なわけです。それをゲイリー・オールドマン扮する悪の独裁者が奪おうと画策する。秩序を失い生存本能剥き出しの暴力に満ちた世界にはソレが必要だ(というのは建前で実は独裁の道具)として。

つまりこの映画は宗教の政治利用から聖書を守る男の戦いを描いており、一見してその二項対立的な善悪の戦いが宗教プロパガンダ臭を放つわけですが、最後まで観るとそうではないことがわかります。

それはザ・ウォーカーが辿り着いた場所と、聖書の扱われ方で示されます。彼が辿り着いた場所は文明再建のためのあらゆる文化財を集積する施設で、最終的に聖書は、あくまでも”人類文明の一部”として本棚に格納されます。聖書を受け取った施設長も「おお、これで人類は救われた!」みたいなことは言わずにむしろ「そうそう聖書が足りなかったんです、ご苦労さま」ぐらいのリアクション。しかし、ザ・ウォーカーは満足して昇天していきます。この聖書の扱われ方(=One of them感)はどういう意味なのか?

そうなんです。この映画はキリスト教礼賛のプロパガンダじゃないんですよね。確かに彼に動機付けを与えたのは神の声なわけですが、この映画が描いているのは、悪と戦うキリスト教徒というよりも、むしろ己の実存的な悩みを乗り越え、信念と忍耐を貫いた一人の男の”生き様”なわけです。自分を信じて、自分の道を切り開け!という熱いメッセージなんです。その意志の力に共鳴できるか否か?そして宗教プロパガンダ臭をスルーできるか?この辺りが今作の評価の分かれ道だと思います。

ちなみに、私のような感じで観ると、宗教の話はむしろ個人の輝きを浮き彫りにして主人公のキャラクターを起たせるための道具として機能してきます。だからこそ私はその生き様を見事に演じきったデンゼル・ワシントンのアクションにヤラれましたし、その薫陶を受け、矜持を得て立ち上がるヒロインの姿に感動してしまいました。

ということで、この映画はなかなかクセのある内容なのですが、ポイントにガッチリハマると胸にガツンとくる作品なので、試しにご覧になってみてはいかがでしょうか。

P.S.
ちなみに私、今作は劇場とBlu-rayで2回観ていますが、アクションの迫力は劇場の足元にも及ばないものの、Blu-rayは画面の美しさがヤバイですね。惚れ惚れしてしまいました。

「ザ・ウォーカー」
公開:2010年6月19日
配給:角川映画/松竹
監督:アルバート・ヒューズ、アレン・ヒューズ
脚本:ゲイリー・ウィッター
出演:デンゼル・ワシントン、ゲイリー・オールドマン
上映時間:118分

桜田門外ノ変 - 2点 ✕

古臭い演出に悶絶しきりの137分。ダサイ映画です。

<作品紹介>歴史的大事件「桜田門外ノ変」を、「男たちの大和/YAMATO」の佐藤純彌が映画化した時代劇。幕末の世、尊王攘夷を掲げる水戸藩士・関鉄之介は、開国を推し進める幕府大老の井伊直弼を討つために故郷を捨て、襲撃部隊に加わった。襲撃当日、大雪の降る桜田門外での死闘により、ついに井伊の首を取ることに成功したが、大老襲撃と同時に挙兵するはずの薩摩藩の裏切りによって計画は頓挫してしまう。幕府はもちろん、かつての同胞からも追われる立場となった鉄之助の運命やいかに―。

「冒頭に襲撃シーンを見せ、後からそれに至る経緯を描く」という、物語構成の斬新さが話題の今作ですが、そういう問題以前に演出が古臭すぎて観ていられませんでした。全編に渡るダサイ演出に悶絶しきりの137分間に、最後は眩暈を覚えたほどです。先月観て衝撃を受けた「十三人の刺客」の影響もあり、お門違いのハードルを上げて観てしまった感もあるのですが、それを差し引いてもコレは酷いです。

まず何よりも酷いのが、説明のために乱用されるナレーション&テロップ。これが全編に渡って挿入されて、”5分に一度”は入ってるんじゃないかいう乱発ぶり。しかも中には、わざわざ画面を一時停止してナレーションを流すという仰天演出も何度かカマしてきます。まさか2010年にもなってこういうモノを見せられるとは思っていなかったので、最初は映写機の故障と勘違いしたくらいです。

最大の見せ場である桜田門外での襲撃シーンも実に陳腐でした。佐藤純彌監督は時代劇が初めてだそうですが、この殺陣は何とかならなかったのでしょうか?「おい!さっさと斬れよ!」みたいなへっぴり腰が多すぎて興醒めです。なにやら監督は「血糊を大量に使った。もし多すぎたら後で消せばいいし」と、さもエグい絵をつくったかのような発言をなさってますが、こっちはもっと過激なバイオレンス表現を見慣れていますので全然ヘッポコに見えました。(*このへっぴり腰の理由が「幕末の侍は実際に人を切ったことがないからだ」というのなら、切った人間が「自分のしてしまったことに恐れおののく」みたいなシーンを入れなければダメです)

また、死んだ人間をイチイチ細かく描写するのも鬱陶しいです。死に様を一人づつ抜いて画面を一時停止。テロップで「○○藩士・××衛門 自刃 1860年3月2日 享年二十歳・・・」とか流すんですけど・・・心底かったるくてしょうがありませんでした。なんなんでしょうかこの鈍臭さ&古臭さは。

幕府に捕えられた鉄之介(大沢たかお)の女への拷問シーンも酷かったですね。そもそも物語的に全く重要じゃないのに、あんなに執拗に拷問を描く神経が理解できません。泣き叫ぶ女の腹をバンバンに殴って、水ぶっかけて、石乗っけてネチネチ虐めるシーンをみせつけて最後ぶっ殺すって、どんだけサディストなんですか?個人的な趣味が入ってるとしか思えません。それが劇中2回もあるんですから心底胸クソ悪かったです。

後で読んたインタビューによると、この監督は「暴力を正当化する映画は撮らない」というポリシーを持っているそうで、「襲撃シーンをクライマックスに持ってくると、政治テロを肯定してしまう」という考えから、襲撃シーンを冒頭に持ってくるという構成にしたらしいですが、そんなこと言うヤツがどのツラ下げてこの拷問シーンを撮ったんでしょうかね?

え?何?「逆に残酷に描くことによって暴力を否定してる」って?あ、そーすか。私には全然伝わってきませんでしたよ。っていうか襲撃シーンについてセコいリスクヘッジをするなら拷問もやめろよホント(怒)。

*以下、ネタバレ・・・っていうかなんていうか

そして究極的に酷かったのが、終盤で捕まった襲撃メンバー7人が死罪を言い渡されるシーン。ここでお奉行さまみたいのが処罰を言い渡した後、「立て!ひったてい!」と言って罪人を斬首場に連れ出す様を7人分流すんですが、信じられないことに、「立て!ひったてい!・・・立て!ひったてい!・・・」と、まったく同じ台詞と演技を7回も繰り返すんですよ!?みなさん信じられますか?7回ですよ7回!?しかも当然、全員分のテロップ付きです。一体何を考えいるのか・・理解不能です。

映画が終わったあと、私の傍で観ていたご夫婦は「あのシーンを頭にもってきちゃったからねぇ・・・」と仰っていましたが、最初にショッキングな襲撃シーンを持ってきて観客の心を鷲掴みにし、「どうしてこうなってしまったのか?」を説明していくという構造自体はわるくないので、この映画がダメな理由はやっぱ監督のセンスの無さだと思います。

ということで、見苦しい演出の数々に目が曇ってしまいまして、監督が伝えようとしてる事を読み取るもクソもなく・・・ただただ悶絶しきりの苦痛な時間でした。むしろあの演出をスルーできる人がこの映画から何を感じたのかお聞きしたいくらいです。

「桜田門外ノ変」
公開:2010年10月16日
配給:東映
監督:佐藤純彌
脚本:江良至、佐藤純彌
出演:大沢たかお、長谷川京子、伊武雅刀、北大路欣也
上映時間:137分

クローズZERO II - 79点 ◯

高い期待のハードルを、ちゃんと超えた優秀な続編。

<作品紹介>高橋ヒロシ原作の大人気コミック「クローズ」を完全オリジナルストーリーで実写映画化した「クローズZERO」の続編。前作に引き続き監督は三池崇史。出演は小栗旬、山田孝之、高岡蒼甫など鈴蘭の主要キャストはそのままに、因縁のライバル校・鳳仙学園のトップに金子ノブアキ、三浦春馬などが名を連ねる。

<あらすじ>芹沢軍団との死闘から8カ月。真の鈴蘭制覇を目指し、規格外の怪物・リンダマンに戦いを挑み続ける源治(小栗旬)だったが、未だ一度も勝つことができずにいた。そんな時、鈴蘭と長年の因縁関係にあるライバル校・鳳仙学園との間で揉め事が起こる。2年前の抗争で死者を出した両校は休戦協定を結んでいたが、事情を知らない源治が手を出したことにより再び抗争が勃発してしまったのだ。今だ鈴蘭を統一できていない源治達は、鳳仙との戦争に勝利することができるのだろうか―。

喧嘩は強いが人付き合いが苦手で一匹狼を気取っていた男が、仲間の大切さに気づき、絆を育んで、学校制覇という目標に向かって突き進む。そんなワルガキの生き様を描いた前作「クローズZERO」は、素晴らしい人物造形のキャラクターや、ケレン味溢れる喧嘩アクション、「力だけでは人の上に立たてない」という共感的なメッセージがとても魅力的な、とても楽しい映画でした。

そして、その続編となる今作は、前作からの残課題である鈴蘭制覇の行方を、新たに現れた外敵・鳳仙学園との戦争を通じて描き上げるという内容で、クローズZEROシリーズにケジメをつける完結編。

既に人間的成長(脱・一匹狼きどり)を遂げている主人公のその先の物語をどう描くのか?今だ一つになっていない鈴蘭高校が、統率の取れた武闘派集団である鳳仙学園にどう勝つのか?この辺りに注目しながら観賞したのですが、なかなかどうして、それぞれにキッチリとした結果を出してくれましたね。期待値のハードルがかなり上がっていたことを考えると、この続編は大成功だと思います。

*以下、ネタバレ含む

クローズZEROシリーズの魅力は、なんといっても小栗旬や山田孝之、高岡蒼甫らが演じるキャラの起ったヤンキー達の活躍(というか喧嘩)なわけですが、今作もその魅力はバッチリ踏襲されていましたね。特に今回は、鳳仙との戦争に向けての、GPS(源治のチーム)と芹沢軍団の共闘を懸けた芹沢(山田孝之)vs伊崎(高岡蒼甫)のタイマン勝負が一番素晴らしかったです。

伊崎が「この3年間いつも目の前にテメェがいて、視界がボヤけてしょーがねぇ、俺が勝ったらGPSに入れや」と喧嘩を売って、それを受けた芹沢も「そういやぁお前とヤるのは初めてだなぁ・・・」つってイキナリ殴りあいが始まっちゃうあのスピード感。最高ですね。

ちょっと深読みすると、きっと伊崎は3年間ずっと芹沢との直接対決を避けて勝機をうかがってきた頭脳派な男なんだよね、そういう賢いヤツだからこそ無鉄砲で真っ直ぐな源治に惹かれた。今まで「なんで伊崎はGPSにつくんだっけ?」っていう疑問を感じなくもなかったので、これでスッキリしました。しかもこのタイマンは、頭良さげな理由で芹沢との勝負から逃げてきたテメェへのケジメの意味もある。こりゃ燃えるしかないよね。

あと今回登場してきた、鳳仙学園の頭の鳴海大我(金子ノブアキ)も最高でした。ヤクザキックの喧嘩アクションも良かったんだけど、彼は台詞がイイね。「男に生まれて良かったなぁーーっ!」とか、「俺は本物の男の匂いを嗅ぎ分けられる」とか、「人間は動物だぁーーっ!」とか。この男の妙な台詞まわしに燃えている(≒萌えている)俺がいましたよ。

ということで、キャラ起ちOK、喧嘩OKな「クローズZERO II」なわけですが、一番肝心な”源治の成長描写”についてはどうだったか?私はここを一番心配していたのですが、なんとまぁキッチリと描いてくれたことか。さらなる成長譚をキチンとみせてくれました。

今作における源治のさらなる成長は、鳳仙との戦争に向けて取った「Monologue(独白)」と「Sacrifice(犠牲)」によって示されます。(*英語で言うとなんかカッコイイので使ってみました)

鈴蘭をまとめきれないまま決戦を明日に控えた源治は、校内放送を使い全校生徒に向かって自分の心象を吐露し、決戦への参加を募ります。今までカッコつけていた自分の飾りを脱ぎ去り、裸になって参加を頼むというこの姿勢。くだらないプライドを捨てる勇気。また一つこの男が成長したことがわかります。

しかし、決戦当日に集まった人数は、とてもじゃないが鳳仙を倒すには足らないという結果に終わってしまう。この状態では負けが目に見えていると悟った源治は、負け犬になったフリをしてみんなと別れ、たった一人で敵陣に殴り込みをかけるという行動をとります。そして、この犠牲的な行動が芹沢軍団を動かし、鳳仙と互角の死闘を繰り広げるという感動的な展開を遂げます。

いやはや、続編を観賞するにあたって心配していた「源治の成長はもう前作でやっちゃったじゃん?」という懸念は取り越し苦労でしたね。前作ファンの期待に応えた素晴らしい映画になったと思います。

P.S.
喧嘩アクションにおける新しい表現がなかったのがちょっと残念でした。

→前作「クローズZERO」批評はこちら

「クローズZERO II」
公開:2009年4月11日
配給:東宝
監督:三池崇史
脚本:武藤将吾
出演:小栗旬、山田孝之、三浦春馬、黒木メイサ、高岡蒼甫、桐谷健太、金子ノブアキ
上映時間:133分
興行収入:30.2億円

ICHI - 52点 ◯

もう少し脚本を練っていれば、傑作になっていたハズ。

勝新太郎や、北野たけしが演じてきた「座頭市」を、大胆にも女性という設定に変えてリメイクした意欲作。監督は「ピンポン」の曽利文彦。出演は綾瀬はるか、大沢たかお、中村獅童、竹内力、窪塚洋介ら。ある宿場町に流れ着いた盲目の三味線弾き・市(いち・綾瀬はるか)が、町を仕切る白河組と、一帯を荒らす野党団・万鬼党との抗争に巻き込まれてゆく新感覚時代劇アクション。

生き抜くために心を凍てつかせた孤独な女剣士が、心に傷を負い刀を抜けなくなってしまった若き侍と出会い、共に戦っていくことを通じて生きる希望を見い出してゆく。こんな感動的な物語を、日本が生んだ世界に誇るダークヒーロー「座頭市」で、しかも設定を女に変えてブチかますとは、その心意気や良しじゃないですか。

しかもキャスティングの豪華なこと。主人公・市に綾瀬はるか、剣が抜けない心優しき侍に大沢たかお、宿場を仕切る白河組の組長に柄本明、若頭に窪塚洋介、万鬼党の大将・万鬼に中村獅童、副将に竹内力という、個性溢れる実力派俳優が揃い踏み。

あとはパンチのある脚本と、見栄えの良い映像に仕上げる手腕さえあれば、傑作映画が完成していたハズ。しかし、残念ながらキャスティングから先はイマイチ揮わなかったようです。

*以下、ネタバレ含む

まず、予告映像でも流れるパンチライン、「何斬るかわかんないよ、見えないんだからさ」の使い方がかなりイマイチでしたね。開幕直後のつかみとして冒頭にキメ台詞をカマすというアイデアは良いのですが、それを言い放つ相手が、単なるスケベ野郎では拍子抜けです(ちなみに指を2、3本斬り落とした程度)。こんな中途半端なバイオレンスでキメ台詞を言われてもグッときません。

今作の趣向からすれば、まずは冒頭で「うおおっ!スゲェ!!コレちゃんと座頭市じゃん!!」と思わせるような市の脅威的な抜刀術を披露して、多くの観客が抱くであろうリメイクへの不安を吹き飛ばすべきでした。そう考えると相手はスケベ野郎じゃなくて、普通に盗賊団とかで良かった。で、手や脚、腹なんかをブッた斬るバイオレンスをカマして、例のキメ台詞「何斬るか・・・」がきてたら超燃えたと思います。

そうでなくても、指を”切る”程度のシーンではなくて、人を殺す意味合いの強い”斬る”という漢字を使うに相応しいシーンでカマすのが最低ラインだったのではないでしょうか?

次に気になったのが、市が父の行方を知ってそうな万鬼党のアジトに単身突っ込んで行くシーンです(市は父を探して旅をしている)。話を聞きに行ってるのにいきなり手下をブッた斬っちゃうのはマズイでしょ。そりゃ捕まりますよ。父の行方を知るのが目的なのだから、「戦いにきたんじゃない!話を聞きに来た!」的な戦いへの抵抗描写が必須だったと思います。それでも万鬼党が「関係ねぇ!殺っちまえ!」とかなって戦いに発展するといった手続きを踏むべきでした。

もしくわ、旅の目的を”父の仇討ち”という設定に変えるかですね。最初に村で万鬼と会った時に、父からもらった鈴と同じ音色が万鬼から聴こえて(父を殺した万鬼が戦利品として獲った的に)「お前、その鈴は?」と市が聞いて、「あ~ん?・・・へっへっ知りたきゃアジトに来な」とかって言われる。で、アジトに行ったら「お前アイツの娘か?親子揃って憐れな人生よのぉ~」みたいに言われて市が逆上する、とかの方が良かったと思います。

しかも、こうすれば白河組 vs 万鬼党のバトルに市が参加する理由も生まれるので一石二鳥です。(なんとこの映画ではクライマックスの大合戦に主役が参加しない!)

そうそう、この”最後の戦いに主役が参加しない”という展開も、時代劇アクションを看板にする映画としては問題があります。これは十馬のトラウマ克服話をメインに据えた影響ですが、これだって”万鬼が父の仇”という設定にしていたら両立できたハズです。というか、市がラストバトルに参加すれば十馬のトラウマ話ももっと盛り上げることができたはずです。

十馬は、剣術の練習中に折れた刀の破片で母親の両眼を切り、失明させてしまったという辛い過去を持ち、そのせいで剣が抜けなくなってしまった侍です。いわば自分の罪を購うために死に場所を探しているような男です。そんな男が、目の見えない女を救うために命を賭す。この展開はバッチリなのですが、クライマックスの大決戦に市が参加していないため、十馬の贖罪描写の究極形である”命を犠牲にして市を守る”ができないというエラーが脚本に起こってしまった。

ここで市を戦いに参加させて、満身創痍の市が万鬼に殺されそうになったたところを十馬が「市ぃーっ!」つって体を張って刀を食い止めて、「生きろ!・・・市・・・(ガクッ」って言って死んでたら、私は100%泣いてますね。号泣してると思います。しかも、この究極形をやってくれていたら、ラストシーンの”市の孤独な魂の癒し”描写に説得力が増すので、最高の気分でラストシーンを迎えられたはずです。

盲目のために凄まじく酷いこと(レイプとか)をされた過去を持つ市は、ひたすら他者を恐れていて、”寄らば斬る!”を処世術にして生き伸びてきた女です。しかも「生きてるか死んでるかわからない」なんていう精神的に半死半生の状態だった。そんな人間は生半可な優しさじゃ心を開けません。だからこそ明確な犠牲描写が必要だったと思います。「こんな私のために命を投げ出す人がいるなんて・・・」という驚きと感謝の表現が。

ということで、結論としては残念ながら「愛が見えたら、きっと泣く」というキャッチコピーには惜しくも届かなかった作品だったと評価します。非常にもったいない気持ちでいっぱいです。

しかし!僕はこの映画をオススメしたい。なぜなら・・・

綾瀬はるかちゃんが可愛いから!

以上です(笑)

P.S.
ちなみに、それじゃ”十馬の剣が抜けない”の件(万鬼との戦いでついに抜く!)が盛り下がるじゃん!!と思われる方がいるかと思いますが、そこは最後のバトルの開戦時に「死んでも市だけは守る!」という決意を持って剣が抜けるようになるってのでどうでしょうか?

そうすることによって、剣を抜いた十馬、満身創始の市、若頭の虎次(窪塚洋介)が万鬼党と対峙し睨みあうというオイシイ絵も撮れる。そして市も含めた組んず解れつのファイナルバトル勃発!これはアリですよ。しかも竹内力というボスでもおかしくない副将がいるので、vs十馬はコイツです。どうですかね?

いや待てよ、となるとさらに、「虎次が隠しドスで竹内力を殺す美味しいシーンができねーじゃねーか!」と思われる方がいるかもしれませんね・・・うーん、じゃあしょうがねぇ!ここは万鬼党にNo.3キャラを設けよう!あ、最後にちょっと話変わるんですが、アクションシーンにはもうちょっとキレが欲しかったですね。スローモーション一辺倒じゃ飽きます。

「ICHI」
公開:2008年10月25日
配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:曽利文彦
脚本:浅野妙子
出演者 綾瀬はるか、大沢たかお、中村獅童、窪塚洋介、柄本明、竹内力、利重剛、佐田真由美
上映時間:120分
興行収入:4.45億円

クローズZERO - 79点 ◯

頂上(てっぺん)獲ってどうすんのか?は獲ってから考えりゃイイ。

累計発行部数3,200万部を超える高橋ヒロシの人気コミック「クローズ」の実写映画化。監督は鬼才・三池崇史。出演は小栗旬、山田孝之、高岡蒼甫、桐谷健太ら人気の若手実力派俳優達。最凶のワルガキ共が集まる鈴蘭男子高校の覇権争いを描く、痛快ヤンキーアクション映画。

「鈴蘭の頂上(てっぺん)を獲る!」という単純な物語構造の中に、ひたすら男達の喧嘩アクションを詰め込みつつも、単なるヤンキー同士の抗争だけには終わらせず、主人公の人間的成長もちゃんと描く。私、こういう映画好きです。

ストーリーはシンプルで、喧嘩は強いが人付き合いが下手な一匹狼・滝谷源治(たきやげんじ:小栗旬)が、鈴蘭OBのチンピラである拳さん(やべきょうすけ)と出会い、彼の導きに従って仲間を集め、チームGPSを結成し、鈴蘭最強の男・芹沢多摩雄(せりざわたまお:山田孝之)率いる最強軍団に戦いを挑むというお話。(*GPS=GENJI PERFECT SEIHA)

*以下、ネタバレ含む

この仲間集めのプロセスには人間関係構築論やリーダー論が示唆されていて非常に面白かった。自分のクラスは喧嘩の実力で圧倒し、3年C組の頭・牧瀬とは合コンで友情を培い、3年D組の頭・伊崎には集団リンチを耐え抜くド根性を見せつけ掌握。という具合にバラエティー豊かに人間関係構築の有り様を表現します。この「喧嘩が強いだけでは人の上に立つことはできない。」というメッセージは至極まっとうで共感的でした。

喧嘩アクションシーンも見所たっぷりで、迫力のある音響、コマ落としによるスピード表現、スローと早回しを駆使した緩急表現など、時に軽快に、時に重厚に、あの手この手を駆使して楽しませてくれます。

関心したのはロッカーの使い方。鈴蘭高校には廊下はもちろん、なぜか中庭や校庭にもロッカーが転がってまして。喧嘩が起きて人がロッカーにぶつかったり、倒したりする度に「ガンッ」というあの独特の音が鳴って迫力が3割増しになってました。

中盤の源治がヤケを起こすシーンも面白い演出でした。源治が暴れてる最中は音楽をガンガンにかけつつ、牧瀬が止めに入ると声がギリギリ聴こえる程度にボリュームダウンする、源治がまた暴れ初めると再びボリュームアップ!みたいな。この源治のテンションと音量とのリンク表現は気持ちよかったです。

そして何といってもクライマックスとなる芹沢軍団との直接対決シーンは燃えましたね。というか燃え尽きましたね。この雨の中の合戦シーンは、それ単体にもドラマがあって素晴らしかった。特に決戦中盤の黒木メイサのバラード曲をBGMにした男達の止められない衝動が火花と共に咲いて散っていくようなスローモーションと、夕日が2人を美しく染め上げる中で戦う、最後の滝谷vs芹沢のタイマンシーンは感動的。男達が暴力で真っ白になっていく様は壮観でした。

ということで私、映画「クローズZERO」を超楽しみました。一般的な価値基準からいくと、別に鈴蘭を制覇しようがお金がもらえるわけじゃなし、卒業してしまえば何の意味もなくなる。そんな称号に一体どんな価値があるのか?なんでここまでやるのか?と思うわけですが。自分の内から湧き上がる衝動に従い、目の前にある目標に向かって真っすぐ突き進む勇気は、子供も大人も関係なく大切なことです。

大人になると、やってみたいことがあっても「それをやって一体なんになるのか?」と考え込んでしまいますが、そんなことはやってから考ればイイわけで、価値だの意義だのをゴチャゴチャ考えずに、”やってみたい!”と思った直感を信じて行動に移すべき。でないとチャンスはすぐさま通り過ぎていってしまう。これは鈴蘭制覇とかに関係なく、仕事でも恋愛でもそう。つまり人生なんて「YOUがCANなら今すぐDOしちゃえよ!」なわけです。で、壁にブチあたったらそこで初めてTHINKすりゃいい。

そんな心持ちで、源治や芹沢の真っすぐで熱い生き様を見ていると涙が出そうになります。彼らの傷だらけのアクションに胸が熱くなったのはきっと多分そういうこと。三十路を越えてから観るヤンキー映画は、社会に出て働き始めた二十代とはまた別の味わいがありますね。とっても楽しかったです。ということで、映画「クローズZERO」はオススメです!

P.S. ヤクザ、警察、女などの周辺要素は、男達の戦いに水を差さない程度に留めるという判断もバッチリだったと思います。

→次作「クローズZERO II」の批評はこちら

「クローズZERO」
公開:2007年10月27日
配給:東宝
監督:三池崇史
脚本:武藤将吾
出演:小栗旬、山田孝之、黒木メイサ、高岡蒼甫、桐谷健太、やべきょうすけ、遠藤憲一
上映時間:130分
興行収入:25億円

大日本人 - 30点 △

前代未聞のオチでも、前フリで耐えた退屈の対価がこれでは困る。

<あらすじ>日本国内に出現する謎の巨大生命体「獣(じゅう)」を倒すため、防衛庁の命を受けて戦う「大日本人」こと大佐藤大(だいさとうまさる:松本人志)。大佐藤家は代々「大日本人」となって戦う英雄の血筋であり、大はその6代目だったが、昔の栄光は既に失われており、国民からは疎まれ、妻とは別居の身となっていた。それでも誇りを胸に戦い続ける大だったが、ある日、彼の前に見たこともない強力な獣が現れた。

ということで、ダウンタウン・松本人志の初監督作品「大日本人」を観ました。公開順は逆ですが私は「しんぼる」を先に観ており、松本監督の映画に物語性を期待するとスカされるという免疫が出来ていたようで、「しんぼる」よりも全然観やすかったです。監督のインタビュー記事を読むに「今まで表現してきたお笑いの延長線上」という言葉が印象的ですが、なるほど。確かに松っちゃんの過去作と共鳴するようなシュールな笑いを展開していました。

私は松っちゃんの熱心なフォロワーではありませんが、彼の過去作の中では特に珍奇なグロ系コントを評価している口でして、例えば「ごっつええ感じ」でみせた半漁人がベチョベチョの粘液にまみれた卵を押入れの中で産む「産卵」や、肉が腐ってあばら骨が露出し悪臭を放つ馬が子供たちに説教を垂れる「こうま」。黄色い液体でベトベトした巨大生物の内臓を老夫婦がアパートの2階から放り出す「腸」など、無臭化された日常生活で麻痺した軟い神経に、エグい一発を食らわせてくるような刺激的なコントが好きでした。故にそれらのエッセンスが漂う今作の獣との戦いには、昔見たコントへのノスタルジーを感じつつ、松本人志だからこそのお笑い表現として楽しませて頂きました。

しかし、残念なことに好感を持てたのはそのポイントぐらい。作品の大半を占める大佐藤とインタビュアーの対話が紡ぐドキュメンタリックなストーリーテリング(=悲哀をまとったヒーローの日常生活)は、あてどない上に推進力が弱く退屈で、そこかしこに挿入される細かい笑いも今一つ揮わず、笑撃力が弱い印象。日常との対比でワザとらしく上がるバトルシーンの音量はうるさくてかなわず。終着点が見えないまま彷徨い続けた物語を突然終わらせるオチのハチャメチャなコント展開は過去何度目かの焼き直し感が否めず、それまでの前フリで延々耐え続けた退屈への対価としてはカタルシス不足で、スベっている印象を受けました。

さらに困ったことに「日本に対する思いが詰まっている」と語る監督が作品に込めた社会風刺が落胆した気分に拍車をかけてきます。確かに「日本国民の民度」や「日米関係」などは重要な問題ですが、もう随分前から提起されている(≒単なる問題提起や批判は聞き飽きている)それらの問題に対して、今さら皮肉を言うだけというのは頂けません。大切なのは松本監督なりの処方箋の提示ではないでしょうか?「日本やばくね?」みたいなコトを口にするだけなら中学生にもできること。松本人志のような天才がそこ止まりでは困ります。

故に、敵前逃亡&スーパージャスティス(=アメリカ)依存に終わった大日本人の社会風刺は無価値だと言わざるを得ません。国民から疎まれ、蔑まれようとも。例え赤鬼にボコボコにやられ、一度は惨敗したとしても。再び立ち上がり、己の身体と棍棒一本で敵に向かっていく信念のヒーロー、大日本人。そんな雄姿をなぜ描いてくれなかったのか?残念でなりません。最後のあの場面でスーパージャスティスに頼らず、「ここは俺の生まれ育った国や、だから俺が守らなアカンのや!アンタらは手を出さんでくれ!」と堂々と宣言する大日本人の姿を見せてくれていたら・・・笑えるかどうかはさて置き、一本スジの通った作品になっていたはずです。

ということで「大日本人」は「しんぼる」と同様に松本人志の威光がなければ正気を保てない珍作なわけですが、「生き物と生き物が戦って弱い生き物が死んでいく様を生き物たちに見せるという文化を絶やしてはいけない。」という、冗談なんだか本気なんだか分からない意味深なパンチラインが時折心をくすぐる作品だったりもしますので、一度観賞なさってみてはいかがでしょうか。

「大日本人」
公開:2007年6月2日
配給:松竹
監督:松本人志
脚本:松本人志、高須光聖
出演:松本人志、竹内力、UA、神木隆之介、板尾創路
音楽:テイ・トウワ
上映時間:113

突入せよ!あさま山荘事件 - 30点 ✕

一風変わった英雄譚。でも減点ポイント多すぎ

負傷者24名、殉職者2名、民間犠牲者1名を出した「あさま山荘事件」を、警察サイドの視点で描き上げた群像ドラマ。監督・脚色は「狗神」の原田眞人。原作は佐々淳行によるノンフィクション『連合赤軍『あさま山荘』事件』。主演は役所広司。

1972年2月19日、警察に追われた連合赤軍のメンバー5人が長野県軽井沢町にある“あさま山荘”に侵入、管理人の妻を人質に立てこもった。山荘は雪と氷に閉ざされ、外はマイナス10度を超えるという極限状況の中、人質と大量の武器を抱えた犯人を相手に警察は苦戦を強いられるが、現場のNo.2として警視庁から派遣された佐々淳行(役所広司)は、反目する地元警察と警視庁お偉方との間で板挟みになりながらも、事件解決に向けて奔走していた・・・。

「金融腐蝕列島-呪縛-」や「クライマーズ・ハイ」で、超ハイテンションな”男達の怒号”をスクリーンに叩きつけた原田眞人監督が「あさま山荘事件」を描いくということで(といってもこの2作品よりも前ですが)、とても楽しみにしていたのですが、結論から言うと、私的には不発な作品でした。

私が観た原田監督の上記2作品は両方ともいわゆる”内幕モノ”でして、「金融~」では腐敗した銀行を再生する若手の勇姿を描き、「クライマ~」では事件を追う新聞記者の執念を描いた作品で、両作品とも火花を散らしながら激突する男達の姿に燃えまくり(萌えまくり?)ました。

そして今回描かれるのは歴史的大事件に立ち向かった警察の男達。これはさぞ熱い男達の”怒号”が聞けるんだろうなぁとワクワクしながらDVDをプレイヤーにディスクを突っ込みましたが、蓋を開けてみれば全くもって期待外れで、妙にコメディタッチな演出の多い、中途半端な三谷幸喜作品のような仕上がりになっていました。

何といってもダメなのは、中央(警視庁)と地元県警、そして中央から派遣された主人公という三つ巴のバトルを、例の(というか僕が好きな)原田節に仕上げてくれなかったことです。そこに描かれているのは面白味のないセクショナリズムばかりで、全然心が燃えませんし、特段の新鮮味もありませんでした。

さらに最も楽しみにしていた”怒号”も不発。今作における怒号は、混乱した事件現場で飛び交うソレに相当すると思いますが、いくらなんでも大勢が一度に喋り過ぎてて訳がわからないし、注意深く聞いても何を言っているか全然聴き取れなので、なんかもう「うるせーなコイツら!w」と思ってしまいました。仮にこれが事件当時のリアルなのだとしても、映画的には退屈です。

このように、僕が勝手に期待した原田節が不発だったため、劇の多くを占めるコメディー要素は全く楽しめず、むしろ鼻についてきます。しかもこの映画は音楽がホント奇妙で、「パンパカパーン」みたいな間抜けなラッパの音が鳴る度にズッこけてしまいました。劇中のコメディに”うんこ”のくだりがありますが、そこにインスパイアされてこの映画を例えるならば、”カレー味のうんこを食わされているような”嫌な味のある映画だと思います。

ま、警視庁長官(藤田まこと)が無理やり役所広司を”ヘラクレス視”して、最終的に役所がそれを受け入れ、「さぁ明日からも頑張りまっしょい!」みたいになるちょっと変わった英雄譚的な劇の締め括り方は好きっちゃ好きだし、映画のつくりもそれなりにゴージャスなので「金返せ!」とまでは思いませんが、それ以外の減点ポイントが多すぎてトータル全然ダメ!というのが最終的な評価の落とし所だと思います。

P.S.
ちなみに、事件を片側からしか描いてないことからもわかるように、事件そのものを真摯に描いた映画ではありませんので、この事件に思い入れがある方が観たら怒ると思います。ご注意を。

*以下、少々ネタバレ

あと、役所広司が頭ン中「あ゙ぁーーっ!!」ってなってる時に、狂ったような指揮者のモノマネを結構な尺でやり続けるシーンがあるんですが、あの”珍シーン”だけは一見の価値ありです。

「突入せよ! あさま山荘事件」
公開:2002年5月11日
配給:アスミック・エース、東映
監督:原田眞人
脚本:原田眞人
出演:役所広司、宇崎竜童、天海祐希、伊武雅刀、藤田まこと、椎名桔平、上地雄輔
上映時間:130分